子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」62号,1995:春 連載第1回)



 第2びわこ学園は重い「障害」児に対しゆたかな人生をおくるという固有の権利を保障するための療育を行う,病院機能を持った児童福祉施設です。入園している人は124名。児童福祉法に定められた施設ですが,年齢制限はありません。現在2歳から62歳まで平均年齢は35歳です。在園期間の平均は20年。県内に限らず,京都,大阪,奈良,神奈川,静岡,新潟から入園している人もいます。

 障害は,全員が精神発達遅滞を持ち,多くの人は脳性麻痺です。出生前か生後すぐに障害を持った人が多く,中には難治性の進行性疾患の人もいます。寝たきりから歩ける人まで,ことばのない人からワープロを使う人までさまざまです。

 生活する場は4カ所(東棟,西棟,新I棟,新II棟)にわかれ,1つの棟には27名から35名の園生さんがいます。

 学園では措置入園以外に,緊急一時短期間入園,通園療育,外来診療,在宅訪問,発達相談など,地域に住む「障害」児者のニーズに応えるべく幅広い活動が行われています。



旅への誘い

 人は生まれて以来,さまざまな人との出会いや別れを繰り返し,生きています。できることなら,思いをわかちあい,いのちをひびかせあえる出会いやくらしを重ねたいと願うのも常でしょう。そのような思いのなかで<私>というものを振り返った時,いつの時代にもその風景のなかには子どもたちの姿が映しだされてきます。週末を近くの小学生たちとすごすのが楽しみだった高校時代,放課後(学童保育)の子どもたちとひたすら遊びきった学生時代,そして保母としてはじめて出会ったのは部落の子どもたちでした。公立保育所で20年余りすごした私は,昨年から知的「障害」児の母子通園施設にいます。その年月さを自分では感じられないくらい凝縮したような日々に思えるのですが,見方を変えれば,余裕なく駆け足で,時には全速力で走ってきた自分が見えてきます。そんな私に昨年の春出会った子どもたちは声なき声でささやいてくれました。

  「駆け抜けても,ゆっくり歩いても,
  過ぎてゆく時間の流れは同じだよ。

  耳をすましてごらん。
  ドキンドキン,ドキドキ,ドキッドキッ
  聞こえてくるよ。
  一人ひとりの息づかい。
  同じようでみんなちがう。
  みんな生きてる。

  さわってみて 一人ひとりの手。
  つめたい手,あたたかい手,
  やわらかい手,かたい手,
  一人ひとりのいのちのぬくみ。
  同じようでみんなちがう。
  みんな生きてる。」

 肌で感じる,心で見る,聞くということが人と人との絆の原点であるということ,そして生きているというあたりまえすぎて気づかないことのなかに大切なことがいっぱいつまっているということを改めて私は知らされたのです。  現在,私のなかで変わりつつあること,それは生き方=息き方です。自分のなかに,子どもや仲間のいのちのリズムを取り入れ,共鳴させていくということ。時には,不協和音であったり,心地よくひびきあったり・・・。そこには,今まで気づかなかった自分と出会ってみたいという内なる思いと,人の思いや眼を通して<私>というものを見つめ直してみたいという外なる思いが重なっていました。その歩みの一つが今回の連載です。私のくらしからは見えてこない見知らぬ場でくらしをともにしている子どもや大人に出会ってみたい,また<子どもとともに>生きている大人の思いや眼を借りて,子どもに近づきたい,自分に迫ってみたいというのが,この旅を通しての願いでもあります。旅という非日常のなかでの出会いを自らの日常に豊かさとして刻んでいけることを期待しつつ,『自分さがしの旅』第一歩をお伝えしましょう。


水流寿代さんを訪ねて

 旅の始まりは『第二びわこ学園』。学生時代から一度訪れたいと思いつつ実現しなかった所です。また,私にとって重い「障害」をもつ子どもたち(第二びわこ学園では,既に多くの人たちが大人になっていますが)が生きる場は<ともに生きる>くらしの原点でもあります。

 滋賀県野洲郡野州町の小高い山を切り開いたような広い敷地内に緑に囲まれて建つ『第二びわこ学園』を訪れたのは,寒風の吹く12月半ばでした。出迎えてくださったのは,水流寿子(つるとしこ)さん。学園で働きだして7年目という保母さんです。「なんと元気のいい,はつらつということばがぴったりの人」,これが私の第一印象でした。

 迷子になりそうな園舎を案内され,最後にたどりついたのが,東棟。水流さんが担当されているゆたんぽグループの人たちがくらしている棟です。その日は音楽あそびの日とのこと。一人二人とプレイルームにゆたんぽグループの園生さんたちが集まって来ました。それぞれのスタイルで椅子に座り,輪を作っていきます。開園当初からここに住んでいるMさんは,私に「どこからきたん?」と何度も聞いてくれました。私の存在に気づいたピンクレディ世代のA君は座っていた自分の椅子を空け,私に座るよう合図を送ってくれました。行為とは正反対の硬い表情でしたが,彼にとって精一杯の歓迎であることが私には伝わってきました。マイクにみたてたマラカスを持っての自己紹介,手あそび,そして一人ひとりが好きな楽器を選び,自分のリズムで振ったり,たたいたりの演奏。「今日は,いつもより少し乗りが悪いね。クリスマス会には,がんばって他のグループの園生さんたちに聞かせてあげようね」と語りかけておられた水流さん。途中もめたり,楽器が飛び交ったりと,とぎれとぎれの音楽あそびでしたが,一時入所で緊張していたN君が鈴を振った時に満面の笑顔になったこと,太鼓をたたいたA君の得意気な顔,Y子さんのリズミカルなタンバリンや手拍子,水流さんに身をまかせて甘えるS君など,一人ひとりが思いを表出する一瞬に出会えた私は,「クリスマス会でどんな姿を見せてくれるんだろう,参加してみたいなあ」と胸をふくらませていたのです。


生活を語る・自分を語る−インタビューより−

 故郷は鹿児島。山口県の短大を卒業して,第二びわこ学園にやって来たという水流さん。彼女と第二びわこ学園を結びつけたものを,私は探りたくなりました。

 以前就職された方がいらっしゃったり,バイトで来たことのある人も何人かがいらっしゃたので,短大に第二びわこ学園の資料がありました。少し遠いけど,行ってみたいなという気持ちで実習にきたんです。

−−大学の時も保母になりたいと思っていたのですか?

 保母かなあ? とりあえず,なれたらいいな。資格もほしいしなあ。学校に入った当初はそんなふうでした。でも,保育所じゃなく,施設で保母として働こうと思ったのは,ここで実習を受け,障害児と出会ってから。子どもたちをスローペースというか,長い目で見 たいという思いがずっとあって・・・。幼稚園,保育所というのは,数年間同じ子らを見ら れるとは限らず,1年単位みたいなところがあって,その子を短期間しか見られないというのがいやだな,もうちょっと長い目で長い期間見たいという気持ちがあって・・・。ここに来たらほんとうに長い(笑)ですね。すごく! ずっとずっとですから。


実習よもやま話

  −−実習に来て『ここだ』と思ったのですね。

 実習は,あの時は10日間でした。10日間では,なんかやっぱりわからないんじゃないかなと思って,バイトも募集されているということだったので,いっしょにバイトもお願いしますということで1ヶ月いました。

 私ってのんきでしょ。卒業の頃には就職試験が終わっていたんですよ。就職は出来なかったので,家に帰るか,山口県で働くかと真剣に考えたんですが,ここで臨時職員を募集されていたので,臨職でこっちにいることにしたんです。次の年は就職試験を逃さないで受けさせてもらいました。


−−今日,実習生の方がおられましたが,7年目にして昔の水流さんみたいな人を見てどう感じられましたか?

 私もこうだったんかなあ。園生さんをまだこわいと思いつつ,一所懸命接してられるのを見て,何年か前,こんなことをしてたんだなあと,思い出されます。自分とすべて同じ考えで実習されているとは思いませんが,実習生さんを見ると,施設をどう見たはるんやろ? どういうふうな思いであの人たちの中にあるんかな? それこそ今度は入った者の欲目で見ると,そういうところじゃなくて,もうちょっと園生さんの目を見てあげて,思いをくんであげてって,こういう所の方が学校で習ったことよりひかれるものがあるはずやし,もうちょっと近づいていってほしいなって思うこともありますね。

−−水流さんが実習生の時には心ひかれる出会いがあり,自分のなかに残ったというのがあ るから,きっとそう思うのでしょうね。

 ここって,建物古いじゃないですか。すごく古くって,おんぼろじゃないですか。それこそ,列車で来て,バスに乗ったら,また長いこと乗せられるし,着いたらこういう所だし,最初は単位実習だからという名目で来て,自分で選んだとはいえ,見たこともない所,来たこともない所にポンと来て,その上,泊まったりもしなければならないと思ったら,この施設を見て,『いやー,帰りたい』『どうしよう,帰りたいなあ』って思いました。

−−私の友人も,昔逃げて帰ったらしいですよ。

 やっぱりね。年に1〜2名いるんですよ。同級生でもいましたけど。私たち同級生4名で来てたから,お互いなぐさめあって『ちょっとでもがんばろう』と言ったり,『いやー ,帰ろうよ』って言ったり・・・。前日に着きましたから,『今,頭を下げて謝ったら帰ってもいいかもしれない』と言う子もいて,『あー,そうかなあ』とも思ったんですよ。でも,とにかく10日間実習を受けて,一応ここの人たちの生活と,保母さんとか職員さんの姿から,何か勉強出来たらいいね,ああ,でも勉強出来ないかもしれないという気持ちが自分のなかにありましたね。(笑)

−−行く前からバイトも決めてたんですね。

 えらいことしたなって思いましたよ。あと3人は帰っちゃうでしょ。「私たちは10日 で済むけど,あんたはあと残り20日あるよ。30日だよ』って言われて・・・。だけど後で,「初日に笑っていたのは,あんただけだったね」って,その時の同級生に言われたんです。そういえば,夕方5時くらいには,よし,グループの園生さんの名前も覚えた! 明日もまたあるなっていう前向きな気持ちになっていました。ああ,疲れたな,施設ってこんなんだな,大変だな,でもちょっとおもしろかったなという感じでしたね。だから,今の実習生さんもそんな気持ちになってもらえたらなあって思います。

 短大の2年間で,やっぱり何が一番思い出かなと言うと,実習なんですよね。それは,幼稚園でも保育所でもそうですし,2年の時に続けざまにいった実習が,どれも一番思い出に残っているし,机で勉強しているより,こういう子どもたちがいるっていうのがわかったことの方が良かったですね。実習が一番ためになっていますね。


 話を聞きながら,私は一人の実習生との出会いを思い出していました。当時私も保母になって7年目位の頃でした。はじめて3歳児を担当し,はじめて自分のクラスに受け入れた実 習生でした。Yさんは実習での悩みや感じたことを毎日真剣に私に話してくれました。心を閉ざした一人の男の子をめぐって遅くまで話しあったこともありました。その子におくる彼女の優しい眼差しは私の心にずっと残っています。それ以来,私は実習生の眼を借りて,自分の保育を見つめ直す作業をするようになったのです。そのYさんから,突然手紙が届いたのは,数年後のことでした。彼女には結婚して3歳になる子どもがいるとのこと。我が子が,実習ではじめて出会った子どもたちと同じ年になった時,一人ひとりの顔や当時のことがなつかしく思い出された・・・。手紙には,そのように書かれていたのです。彼女は子どもを連れて京都まで会いに来てくれました。そこから私たちは,保母と実習生ではなく,友人としてつながりあうようになったのです。

 私は『一期一会』ということばが好きです。水流さんを見ていると,第二びわこ学園にはすてきな楽しみがあるなと思いました。水流さんがかつてそうしたように,実習生だった人と,学園の仲間として再会出来るという楽しみが・・・。


●第二びわこ学園に住む人びとに魅せられて

 自分で求め,選んだこの学園で,年月とともに変わり,育っていった水流さんの思いを聞いてみました。

 それこそ,最初は勢いだったんですよ。いなかにも帰りません。すみませんけど,この仕事やりたいんで・・・みたいに,いなかの親にも手紙を書いて出てきたという感じだっ たんです。でも,これがやりたいからというよりは,まずはここにいるみんなについていきたい,ここの園生さんといっしょに暮らしたいという思いで,走りだしたような気がします。振り返ってみると,あの時期って何してたんだろうって・・・。こんなふうに働きかけたい,かかわりたいという思いだけが先走って,まわりを見渡す余裕なんてなかったように思います。思い込みが激しかったり,入り込みすぎたりする所が自分の中にあるんですよ。少し距離をおいて自分や園生さんを見つめ直してみようと,3年半位いた寮を出ました。すると,園生さんとも肩の力を抜いて自然体でつきあえるようになっていったんです。今まで何でそんなに走っていたんかな,何でそんなにここでなきゃと燃えてたんかなというのも改めて考えました。生活の一部といったら大げさかもしれないけど,私のくらしの中にここでのくらしがうまくとけあった時,走りっぱなしではなくて,振り返る余裕もできたし,立ち止まってその場で見る余裕もできてきました。そんなに先のことは考えないんですが,ちょっと先のことを「あっ,こんなこともできるかもね。やっていきたいね」とかいう余裕も出てきて・・・。ゆっくり日常生活を見直すなかで,園生さんを広い目で見られるようにもなりました。

−−私の場合は,それを気づかせてくれたのは子どもであり,仕事をしていくなかで自分自身が育てられ,変わっていったという経過がありますが,水流さんはどうですか?

 変われたとしたら,やっぱり園生さんとか先輩の職員のおかげですね。先輩たちの姿を見るなかで「わあ,すごいな」と思わせられることが,日常のなかで少しずつあって積み 重ね,7年きたんじゃないかなと思います。結婚されて,家で3人子育てされて,仕事も続けられてという方はすごいですね。おまけに<母の顔>というのがあるじゃないですか。私たちに真似できないのがあります。それこそ私たちだったらピリピリしたり,ギスギスしたりするきついところを,そうじゃなくて,お母さんみたいな味とタッチでうまいぐあいにフ オローしてもらうと,園生さんだけでなく,私たちのフオローにもなる。やっぱりすごいですね。

 ここの園生さんは自分より年上が多くて,私なんかよりもずっと長く生きてらして,障 害があってということなんですが,ふだんは,こっちが『おしっこいこうな』とかいうように,同じくらいの関係とか,かかわりを許してくれたはるけど,私の知らない一人ひとりの生きざまに出会った時,自分の生き方そのものを問われれる思いがします。自分にない感性の鋭さややさしさ,正直さに触れた時は『すごい!』って思いますね。新II棟(水流さんが実習,アルバイトで最初に入られた棟)の人たちもそうですが,うちのグループの人たちにも支えるというより,支えられてここまできたような気がして・・・。けんかもするけど, みんな好きですね。

 ほんとに私,真剣にけんかするんです。お互いに子どもになって大げんかするんです。対等につきあっていける関係ができたらいいなというのが自分のなかにあって・・・。そんななかでは,ほんと大げんかもあります。その人の悩みのところからのけんかもあったり,単なるチャンネル争いからも(笑),なんでもしちゃいますね。


●忘れられない園生さんとの出会い

 最初に新II棟にいった時,自分がアルバイトで入ったグループに緊急一時短期入園で中学生位の男の子が入ってきたんですよ。M君は食事介助にもとても時間のかかる子でしたし,緊張もきつい子だったんです。15歳位だし,めそめそ泣いていた時もあったんですよ。『このグループで今新しいのは,私と君と2人やし,ここは仲良くやっていこうよ,がんばろうね』ってずっと励まし合っていたんです。それこそ,ただのバイトと短期入園の園生さんではあったんですけど,長いことおられる園生さんや職員さんじゃなくて,自分と同じ新入りなんだというところに助けを求めたのかもしれないですが,彼なんかすごく印象に残っていました。そして私が職員として就職した時,彼も新入園されてまた再会したんです。何年か経ってM君の担当にもなり,そこでまたがんばれた・・・というのがありますね。

 新II棟で,もう一人忘れられない人がいるんです。現在は違う施設に行かれたんですけど,私が新II棟から東棟に異動した時のことです。異動が4月1日からで,3月31日まで新II棟で仕事をしていたんですが,その晩に『いやー,明日から東棟だわ。ここを離れたくないわ。どうしようかしら。まあ,がんばるわ。でもねー,不安だわ』と私の方が愚痴ってたんでしょうね。ぶつぶつ言っていたんです。すると,4月1日の朝,朝礼の8時半の時点で,彼が電動椅子に乗って外にいるんですよ。『どうしたのかな』と思っていると,わざわざ会いにきてくれたらしく,『きのう,あんなこと言ってたし,心配やし,来たわ』って言われて・・・。『キャー,まいったわ。やられたわ』って思いましたね。その彼とまだ新II棟にいるK君が印象に残っていますね。

 K君と新II棟でいっしょにつきあっていた頃は,変に意地っ張りで,ぐうたらでって,お互いに似たような所があるだけに,アラが見えて,『お前のそういうところは・・・』って向こうに言われるし,『あんたのそういうところが・・・』って,よくけんかもしたんですが,結構仲良くしてもらっていたんです。現在は少し距離をおきながらつきあっています。ごはんを時どき食べに行くぐらいですが,学園で一番好きですね。それに現在のグループの園生さんはみんな好きですね。まだまだ直接の付きあいの真っ最中ですので,思い出ばなしはできないけれど・・・。


●水流さんの現在,そして未来・・・

 今年から親係(病棟ごとに1名おき,棟のケースワーカー的な役割を担い,親や家族の人との窓口になっている)をしています。はじめてなので,とまどったりしているんですが。それに親御さんはずっと年上の方ばかりです。まず名前を覚えてもらって『ちょっと困っているのよ。こうなんよ』って気さくに話し合える,関係をつくりたいですね。でも,親御さんにはかなわないところがありますね。どれだけ毎日私たちといっしょにすごしていても,月に1度とか,2ヶ月に1度でも来て下さる親御さんには,やっぱり,うれしいという気持ちが園生さんにあって,代われないし,親にはなれませんよね。みんなの持っている親への思いって,強いですよね。

 親係になってからは,親の思いと出会う,入所している人の親御さんもそうだし,在宅で現在がんばっていらっしゃる親御さんの声も聞くチャンスもいただけるようになったんですよ。ここの入所者だけでなく,もっともっといろんな親御さんもいらっしゃるということがわかり,入っている園生さんの思いもあるし,入っていない人の思いも見えだしたというところなんです。ショートステイみたいなものも含めて,現在入っている人だけでなく,入所を待っている方とかの思いも,しっかり受けとめていきたいですね。じゃあ,今何が出来るんだと考えると,まず,入って来られた人に『施設はつまらなかった。しんどかった。お母さんがいなくてだめだった』というんじゃなくて,『こういうこともあるのよ』と知らせられたらいいし,『こんなことは,家族にはかなわないけど,こういうふうには出来ますよ』ってことが,やれたらいいなと思っているんですよ。

 親係になるまでは,いっしょにくらしている園生さんにしか目を向けられなかったんですが,実際に地域の中にある通園施設や,最近できた共同作業所など,在宅の重症児の存在をもっと知りたいと思うようになりました。自分の足で踏みこんで,まず私自身が,さまざまな場で生きている重症児としっかり出会っていきたいですね。その中で,少しずつでも,交流し,いっしょに生きていける道を模索できたらいいなあと思っています。


 第二びわこ学園では,ショートステイの人もたくさん入ってきているとのことです。目的がはっきりしていて,それが達成されると家に帰るというパターンもあります。地域に根ざして生きていくという在宅の人のニーズが変わってきている中で,以前のような長期入所の人の受けとめという形だけではなく,学園そのものの在り方も新しく創り変えられつつあります。それは,保育所が地域に根ざした子育てセンターとしての役割を求められているのと,時代(とき)を同じくしているように思います。

 水流さんのインタビューは,延々3時間余り続きました。「緊張しますね」と言いつつも,終始笑顔で目を輝かせて応対してくれる彼女と私たちは昼食をとるのも忘れて話し込んでしまったのです。体や声にみなぎるあのバイタリティは,どこからくるんだろうと私は思いました。自然体でつきあえる人たちとともにいるということ,それは園生さんであったり,職場の仲間であったり。彼女のことばを借りれば「大げんかもするけど,やっぱり好き」ということに尽きるのでしょう。しんどさや楽しさ,さまざまな思いをひっくるめて,生き生きと生きあえるくらしというのは,人を自由にするものだなと,彼女と語りあった後,ふとそんな思いがあふれてきました。ことばで自分を規制するのではなく,ことばでありのままの自分を伝えようとしていた彼女を通して,私はこの学園にくらす人びとに出会えた気がしたのです。

 これから先? そうですね。いたい気もするし,出たい気もするし・・・。わあ,こういうことがあるわ,おもしろいわと,やりだしたらやめられなくて・・・。また,こういう施設でこういうふうなことができる,と聞くと,じゃあ,行ってみたいなと,広がるかもしれない。そうなってもおかしくないと思います。居心地はいいし,居続けるかもしれないし。ぬくぬくと居続けるかもしれないなあ。

 あの建物,膨大な人数でのくらしのなかでは,一見想像できない<居心地の良さ>という ことばにきっと大切なものが隠されているのでしょう。

 第二びわこ学園にくらす人びと,私が出会った限りでは,それぞれが個性豊かな人たちでした。園生さんも職員もみんな一人ひとりちがう。ちがうからすてきなんだということ。ぶつかりあい,共感し,<人が人を好きになっていく>くらしの営みを,私はこの地でかいま 見ることが出来たように思います。


 洋のホームページにもどる

inserted by FC2 system