子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」75号,1998:夏 連載第14回)



<森 かすみさんとの出会い>

 2年前の春のことです。日本子どもの虐待防止研究会の第1回学術集会が大阪で開催されました。2日目のシンポジウムではさまざまな分野からの発言や報告を聴くことができ,衝撃を受けたのを今でも鮮明に記憶しています。そのなかに大阪府の保健婦業務の報告があり,虐待を防止するための積極的な取り組みが印象的でした。核家族化,少子化社会のなかで育ってきた世代が親になりつつあることを考えると,いっそう不安のなかで孤立した家族状況が見えてくるようです。

 また,子どもの権利条約が具体的に推進される一方で,子どもの犯罪や非行がクロースアップされ,子どもを権利主体としてではなく,保護の名の下で管理強化の対象とする動きもみられます。大人も子どももある意味では共通してますます生きにくくなっているような気がしてなりません。そんななかで,子どもが,生活基盤である家庭において<いのち>を育み,地域社会のなかで親も子もひらかれていくためにもっとも必要とされる援助について,特に子育ての原点ともいえる乳児期を中心に,今一度捉えかえしたいと思っていました。

 そこで,今回は地域に根ざし,直接家庭にアプローチされている保健婦さんの眼を借りてみることにしました。


<大阪府門真保健所をたずねて>

 京阪門真市駅より徒歩10分,公的施設が立ち並ぶ一角にある大阪府門真保健所に勤務されている森かすみさんを訪問したのは5月下旬の蒸し暑い午後だったのですが,森さんはさわやかな笑顔で迎えてくださいました。さきほどまで自主団体である母子グループのお世話をされていたとのこと。「顔を出すと,待っていましたとばかりにさまざまな質問や悩みが飛び交ってくるんですよ」と,うれしい悲鳴をあげておられました。

 大阪府の保健婦は地区分担制をとっておられて,門真の地域を人数割りで分担し,担当地域の住民のケアはあらゆる問題に対応されているとのことでした。また,その地域業務とは別に窓口的なまとめ役として,現在,難病グループ,母子グループ,成人・老人グループという3つのグループのどれかに所属され,森さんは昨年から母子グループで活躍されています。

●よちよちクラブのお母さんたちと子どもたち

 よちよちクラブというのは,保健所主催の「保育教室」を終了された保護者でつくられている自主グループのことです。月に1回の共同保育の場をもち,親子での交流を楽しんでおられます。訪問した日に近くにある市民センターでその集まりがあると聞いて私はわくわくした気持ちになりました。今回は,直接子どもたちやお母さんたちと森さんがかかわっておられる場面はないかもしれないと思っていたのです。ところが,よちよちクラブの話を聞くなかでお母さんや子どもたちに出会ってみたくなりました。そして,森さんの案内でたずねることができたのです。

 その日は砂遊びを計画されたとのこと。私がおじゃましたときは室内での遊びの時間でした。広い室内を動きまわって活発に遊ぶ子やお母さんにくっついている子などさまざまですが,どの子もそれぞれに友達を意識しています。お母さんたちも自分の子どもだけでなく1人ひとりをグループの子どもとして受けとめ,個性や成長を見つめあっておられる様子でした。そのなかに森さんがはいられると,あちこちから声がかかり,ミルクアレルギーの相談にのったり,虫歯の話を熱心にされたりと大忙しでした。終始さわやかな笑顔と細やかな配慮,相手の話をゆっくり聞く姿勢に,私は森さんの魅力を発見することができました。


<地域に足を運んで>−インタビューより−

 森さんは20年間保健婦業務にたずさわりながら,大阪府内の3地域をまわってこられたそうです。その歩みを振り返り,日々の活動を紹介していただきました。

●虐待防止のネットワークづくり

 門真市での虐待防止ネットワーク作りの発端となったのは,大阪府が平成2年から実施した「被虐待児地域処遇モデル化事業」に初年度の地域として選ばれたことでした。児童相談所(大阪府では現在「子ども家庭センター」という名称を使っています)を中心に保健所,児童課が協力して「要保護児童処遇調整会議」を設置した2年間のモデル事業を終えた後,さらに「被虐待児を巡る関係機関会議」に発展し,今日に至っているとのこと。その経緯や成果をたずねてみました。

 要保護児童処遇調整会議では,先述の3機関以外に市の健康増進課,府立こころの健康総合センターにも入ってもらって毎月1回定例会議をもち,そこで発見からサポートに至るシステムの検討やケース報告・検討,講演・研修等の企画実施に取り組んできました。広域の関係機関会議もそのようななかから生まれてきたのです。やはり虐待というのは,警察や学校,保育所,消防署,医師会等とも緊急に連携をとらねばならないケースもあるだろうということで「被虐待児を巡る関係機関会議」をもつようになりました。研修は主に学校や保育所などを対象に呼びかけて,平成4年度から年に1回開催してきました。「子どもの虐待のとらえ方」から始まり,「子どもの人権」「法的対応の視点から」「観察医の目を通して」などさまざまな分野の専門家による講座を開いています。具体的な対応について学びあうことも多く,またケースを学校の中でかかえ込まないで連携しながら対応していくことの重要性も再確認できました。

●地域の特徴,ニーズに応えて

 門真市は大阪の中でも生活基盤が脆弱な世帯が多く,そのため生活上のストレスや,母親の育児疲れなどによる虐待の多さが特徴的です。昔からここに住んで生活が安定している世帯もあれば,生活が不安定な家庭や1人親家庭も多く,また若年出産も多い実態があります。以前配置された市では若年といえば18〜19歳くらいで援助していたのですが,ここでは15〜16歳くらいですね。早く結婚してすぐ離婚するケースもかなりあります。

 この市の良さは物価が低くて,暮らしやすいことです。それに大阪の中心へのアクセスがいいですよね。家賃も2〜3万円の文化住宅がたくさんあるので,すごく生活しやすいのです。ですから生活がある程度豊かになったら他市に家を買って出ていく。そしてまた生活が困難な人たちが入ってくるという形ですごく人口の流動が激しいのです。それに地元の人たちも転居してくる人を排他せず,あたたか包み込んでくれるところがあるので,生活しやすい面もあると思います。たとえば心疾患をもった患者さんで,大変なケースでも,門真市ではそれなりに援助できていたのが,他市に転居されると「こんなケース初めてだ」と言われることが多々あります。

 ここでは生活基盤そのものが不安定なので,たとえ母子の問題でも,お母さんに子育て指導をするだけではすまなくて,生活の援助が必要だと思うことがよくあります。食べることからお金の援助から生活全体を援助していかないとだめなんですよ。

 門真市の特徴は虐待の件数からもわかると思います。家族の数より件数の方が多いでしょ。ネグレクトがまさにそうです。きょうだいであがってきます。身体的な虐待,性的虐待はわかりやすいのですが,ネグレクトがどうしても気づかれにくいのです。学校の先生も家庭の問題としか捉えていないことが多いのです。子どもの食事の問題でも,学校の給食がその子の生きる糧になっているようなケースまで親の問題として処理してしまうと子どもに対して援助ができないのです。ネグレクトも虐待なんですよと私たちは研修などで強調しています。門真市の場合はいろんなケースを保健婦が援助してきているという現実があります。



●ネットワークを活かして

 ネットを組むようになってから,それぞれがきちんと役割分担をしてアプローチできるようになりました。例えば両親ともに健診や訪問も拒否されたりする場合はみんなで話し合い,かわるがわるにアプローチしたり,どこかが悪役になったりと工夫します。また警察からの情報も大切です。よく迷子になって保護されるケースがあると会議にかけられたりするのです。そういう子は保健所の健診の場での要チェック児としてつないでいきます。行方不明になった母親をネットを利用して見つけることもできます。お互いの情報をやりとりする,できることは大きな成果だと思います。また,事例報告をだしあうなかで同じケースが別件であがってきたりすることもあります。お互いの見方を調整するなかでケースの共有が広がってきました。ニュースレターも発行するようになったのですよ。

 森さんからの報告は,どれも地域での援助ネットワークづくりの大切さを物語っていました。虐待防止のための取り組みの一環として欠かせないものであることを改めて実感しました。


<予防としての育児支援>

 とにかく核家族が増えてきているというところで,虐待の予防的取り組みとしてあげられるのは,ひとつに健診の場でのお母さんの不安ですね。しっかり聞いてあげないと,こわいなと思います。現在援助しているケースですが,父親は長期出張が多く,母子2人での生活が続き,小さいときから夜泣きが続いても,相談する人,援助してくれる人もいないというなかで悩んでおられました。子どものサインがわからず,この子にどう対応していいのかわからないというのが積み重なっていたのです。訴えとしては「この子は私の顔をよくひっかくのですが,どうしてなんでしょう?」ということばから始まりました。「子どもはお母さんの顔をよくさわったりするよ」と言いつつ,健診後に「しんどい?」と聞くと,泣きだされてしまいました。「どうしていいかわからない,子どもの求めに応じられなくて,つい叩いてしまう。子どもを叩くからこの子は私を嫌ってひっかくのでしょうか?」と言われるのです。そういう思いをされている親はこのケースだけでなく,健診の場でよく見られます。そういうお母さんには母子2人の生活だけでない別の場,お母さんが息抜きできて,お母さんに子どもへの対応を教えてくれる場を提供していく援助が必要なのです。そういうときは週1回開かれている親子教室の場を利用させてもらっています。この親子教室は基本的には1歳半健診でことばの遅い子などの発達の経過観察の場として開いているのです。そこでお母さんも友だちを作ったり,子育ての話しを聴いたりして虐待防止につないでいます。あるいは核家族や母子2人でなくてもきょうだいが生まれたら,それはそれでしんどくて上の子を叩いてしまったりすることが健診の場でわかったりします。訪問でのフォローもできるのですが,そんなに頻繁に行けないし,その場だけのフォローになります。継続的にお母さんの気持ちをしっかり受けとめていく場,保育所の園庭開放のような場がもっと望まれるのだと思います。

●地域の特徴,ニーズに応えて

 予防のための積極的な育児支援として保健所時代(1997年4月の地域保健法の実施に伴い,市に事業移転した)から年に4回「保育教室」を開いています。対象は1歳半前後の子どもと母親。1コース,20組から25組くらいで全6回のプログラムを組んでいます。広報からの一般募集は10組で,あとは4カ月健診などで気になった母親や発達が少しゆっくりの子どもなどを呼んでいます。母親へのチェックの目安として私たちは健診時にアンケートをとっています。「心配なことがあれば相談する人がいますか?」「子育てが常に不安である」とか「不安であっても楽しい」とか尋ねるなかで気になるお母さんをチェックしておいて保育教室に誘うようにしているのです。そのなかでお母さんに育児の楽しさを伝えたり,友だちも作ってもらえたらと願っています。

 保育教室の歴史はかなり古く,最初は3カ月健診の赤ちゃんが対象でした。若年夫婦が多い実態のなかで子育て教室として始まったのです。そこから,お母さんの不安が高まる1歳前後の時期へと移行していきました。1歳半の課題も出てくる頃ですしね。最終的には現在のパターンができてきたのです。最近では,子どもの発達のプロセスをしっかり踏まえていないために高度な要求へ発展し,ストレスや不安につながっているケースも多くあります。たとえば,1歳前の子どもが「うまくスプーンを使えない」と悩んだり,排泄や歯磨きのことなどもとても神経質になっておられるんです。また1歳半健診の場だったら,「友だちとあそばない」との訴えが多いですよ。友だちが少し気になるという程度が当たり前のころなのにね。

 保育教室のスタッフは保健婦,保母(公立保育所よりの応援体制)や栄養士,また民生児童委員にも手伝ってもらって構成しています。母子分離時間には保育ミニ講座と称して生活リズムを始め,遊びについての理解,手作りおもちゃ,子どもの事故と救急処置,子どもの食事とおやつなど育児に不可欠なテーマを提供しています。

 また,教室開催中は毎回アンケート用紙に記入してもらって,その返事を直接のことばかけと文章の両面から返すようにしています。そんななかで「生活リズムがめちゃめちゃだったが,保育教室でリズムの話しを聴いてつくりかえる努力をした」という報告を受けるととてもうれしくなるのです。


●自主サークル「ヨチヨチクラブ」の誕生

 この教室を修了したお母さんたちでつくられるOB会が,今日見学された「ヨチヨチクラブ」なのです。こちらが声をかけて働きかけるのですが,親が中心になってすすめておられます。公共施設が少なくて活動の場が確保しづらいことも多々あるのですが,皆さん協力しあって続けておられますよ。

 「保育教室」は子育て支援事業の原点ともいえる取り組みのように思えました。また,森さんの話は私の勤務する保護者・子通園施設(難聴幼児通園施設の言語部門)に通って来られる親の姿と重なる部分が多々あります。それはきっと現代の若い母親の象徴的な姿なのでしょう。地域に根ざした子育て支援事業を,の合言葉はずいぶん社会に浸透しているのですが,実際に利用し,フォローされている母子はほんの1握りというのが実態です。児童館の子育てグループへの参加すら抽選で選ばれるという現実があります。昨年度通園されていたお母さんはこんなことを言っておられました。「ここで教えてもらった手遊びや学習会での話を近所の同じ年頃の子どもを持つお母さんたちに伝えると,みんな『いっしょに参加したい』と言われるのですよ。『いいなあ,そんな楽しいところに通うことができて...』って言われるのです」。こんなとき私はいつもそのお母さんに地域での共同子育てサークルを作るようすすめます。社会に変革を求めつつ,くらしのなかの底辺でがんばり続けてきたのはいつの時代でも<母親>であると付け加えて...。


<保健婦としての歩みのなかで>

 最初は保健婦になるつもりはなかったんですよ。姉が看護婦をしていて,私も看護婦になりたいと思い,学校に行きました。そのころ姉は病院に勤めていまして,看護婦としての限界といいますか,施設内の看護の限界というものをすごく感じていたみたいで「保健婦学校だけは行っておくように」とかなりすすめられたんです。そこで保健婦学校に進むようになりました。保健婦学校の実習やいろんな患者さんに出会うなかで,人間というのは1たす1は2では割りきれないということを...1たす1は2にでも3にでも,働きかけによってはなるんだということをすごく実感したんです。そういう仕事に魅力を感じて,そのまま大阪府の保健婦の採用試験を受けて採用されました。

 最初は姉を見ていて看護婦のことしか考えなかったんですがね。外科とか楽しいでしょ。はっきり結果もでますしね。でも,それだけではないということを保健婦学校で学びました。こういう処置をしたらこうなるだけではなくて,人間にはいろんな背景があって生活されているから,これをしたらもっとよくなる場合もあるし,だめになることもある。その時何を大切に働きかけなければならないかの見極めのむずかしさも学びました。

 就職して思ったことは−−私たちは地域を担当します。そうするとたとえば低体重の子どもでも自分の担当するケースはわずか10件くらいです。ところが10人の保健婦の件数を合わせたら100人くらいになるんですよ。そこからその子たちをまとめて何が問題か,どこを改善すればもっと良くなるんだろうという視点,公衆衛生の視点で検討し,行政的に解決策を提示し,すすめていくこと−−個をマスにしたなかで行政的にできる働きかけというのが,公的保健婦の役割ではないかと20年かけて実感してきています。でないと1件の援助で終わり,その人しか救えないことになります。母子だけでなく,老人もそうですよね。その人をマスにしてうまく制度化していけたら,私たちが訪問できていない埋もれた人たちもいつかは助かるということ−−そこに保健婦の公的役割が潜んでいるように思います。。


●母親と子どもの思いに寄り添いつつ...

 いまの若いお母さんを責めるわけではないですが,しんどいんだなと思いますね。子育てより自分のこと...。若年ママだと当然ありますよね。

 私は子どもが4人いるんです。自分も子育てしながら育ってきたことってずいぶんありますね。3人目の子がのんびりしていて他の子よりテンポのゆっくりした子なんですが,もし1人目の子がそういうテンポのゆっくりした子だったら,私もいらついたり,不安になったりしたと思うんです。でも子育てしたり,いろんなお母さんと接するなかで,私自身が子どもを見つめる目がゆったりしてきたなと思います。他の子より成長はゆっくりしているが,ちゃんと力はつけていっているし,この子なりのペースがある。4人のわが子のそれぞれのちがいを受けとめられるようになったのはこういう仕事をしてきたなかで培ったものだと思います。一方で自分の子育てのなかから若いお母さんに返したり,ゆっくりみていくように促すこともできるようになりました。


 私自身も森さんと同じように仕事と自らの子育てという相互活動の中で多くの子どもたち親たちと育ちあってきました。悩んでいるお母さんに出会うと母親として1年生だった頃の自分を思い出します。生後間もない長女は哺乳力が弱く,1時間ごとに泣いていた時期がありました。その上昼夜逆転して夜中に何度も泣きつづけたのです。そんな日々が続くとだんだん母親である私まで泣きだしたくなるくらい情けなくなり,おもわず長女を目の前の布団の上に放りたくなりました。その時,私を諌め,そばで励ましつづけてくれたのは,母だったのです。もしあのとき実家で母に支えてもらっていなかったら...と思うことがしばしばあります。森さんも同じような経験を話してくださいました。子育ての悩みは自分だけではないということから出発し,さりげなく経験を伝えあい,支えあう場こそ,日常のなかで求められているのでしょう。


<未来を拓く>

 保健婦の活動は申請主義ではないのでこちらから出向いていくというかたちですね。それで援助ができるのだと思います。虐待などはまさにそうですよね。待っているのではなく,こちらから働きかけないと...ね。親からのちょっとしたサインを見逃すとそれっきりになってしまうのです。家庭訪問はいろんな思いをゆっくり聞けますし,緊急な対応もできます。まず出かけて「こういうのがあるよ」と知らせていく。「でかける」「しらせる」というのをしっかりしていかねばと思っています。それはケースを大切にしていくということです。1ケース,1ケースを大切にして援助する中でいろんな問題が見えてきます。そしてそういう人をちゃんとまとめるというか,マスにして行政的課題をしっかりと明確にしていくという力をもっていきたいなと思います。

 訪問中,私は何度か森さんの仕事ぶりをかいま見る機会を得ました。母親からの電話の応対では,取材中のようなてきぱきとした話しぶりではなく,どーんと甘えてきてもいいよといった穏やかな優しい,そして親しみが湧くような語りかけでした。よちよちクラブに参加 されていたときは若いお母さんに囲まれ,相談ごとのひとつひとつにていねいに応えておられました。いつのときも終始笑顔が絶えないのです。仕事を通して世の中や政治の矛盾に出会い,無力感や精神的しんどさから仕事を止めたいと思ったこともしばしばあると語られたときの厳しい表情,制度としてさまざまなシステムを構築していくことが1人ひとりを大切にすることにつながり,多くのケースを救うことになると熱く語られた眼差しは,きっとその笑顔の奥深くにかくされているのでしょう。



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