子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」76号,1998:秋 連載第15回)



<奈緒ちゃんのこと>

 人はこの世に生まれて以来、その人なりの人生を生きていくわけですが、時の流れは誰にも平等に刻まれていきます。いのちの鼓動のなかで時を感じ、年を重ねていきます。そしてい〈たびか飛び立つ時をもちます。

 梅雨にはいったばかりのことです。私は一人の若い友人と電話で話をしました。広島県三原市に住んでいる阿部奈緒子さん。彼女が子どもの頃からのおつきあいなので、20歳になったいまも「奈緒ちゃん」と呼んでいます。ハロウィツク水泳法協会という「障害」児・者といっしよに水泳を楽しむクラブを通しての仲間です。私とハロウィック水泳法との出会いについては、以前この連載のなかで少しふれたことがありますが、彼女のハロウィック法による水泳歴は私より古く、生後1歳半の頃からお母さんといっしよに水泳活動に参加しています。電話で話をする奈緒ちゃんはいつもとても元気です。今回も目を見張ることばが飛び出してきました。

 「久賀谷さん、泊まりにおいでよ。私、5月から1人ぐらしを始めたけん」
 「へえ、奈緒ちゃんすごいね。夜はどうしているの? だれかに来てもらっ
 ているの?」
 「電話をかけていろんな人に来てもらってるよ。来てくれる人が見つからな
 いときは、家の人が泊まりにきてくれるよ」

 奈緒ちゃんは、ふだん車椅子で〈らしています。ある機関誌に自分のことをこのように紹介していました。

「私は車イスに乗る障害者です。『筋ジストロフィー』という病気で、筋肉が弱くて自分で手足体を動かすことができません。座ることが長いので背骨が曲がっていて首や体のあちこちが痛むので、体の姿勢をたびたび変えなくてはいけません。…」

 そんな彼女が1人暮らしを始めたのです。きっと長年あたためてきたことなのでしょう。「なかなかやるな」と、私はエールを送りたくなりました。そして、病気と共存しつつ、だからこそいっそういのちに磨きをかけ、くらしを切り開いていった歩みを20歳になった奈緒ちゃんや家族、まわりの仲間から聞いてみたくなったのです。三原の町でさわやかに生きている彼女のくらしをみつめることは、きっとさまざまな場所でさまざまな困難を越えてくらしを営んでいる人たちにつながっていくような気がします。


<地域で暮らすということ>

 夏の休暇を利用して、私は奈緒ちゃんの新しい住まいを訪れました。奈緒ちゃんは夏のキャンプに参加中で、案内してくださったのはお母さんの阿部真理子さん。転居先は実家から500メートルほど離れた静かな住宅街でした。2階建てアパートの1階で小さな庭続きの部屋です。庭に面した掃き出しにはスロープが設置されていて、そこから車椅子で出入りできるように工夫されています。知り合いの工房の方がボランティアで作ってくださったとのこと。室内も事イスで移動したり、より快適にすごすための工夫がみられました。


●アパート捜しのなかで

 奈緒ちゃんのアパート捜しにつきあい、応援されてきたお母さんにそのときの苦労話を聞いてみました。

 ここの家賃ね、高いし、ぜいたくだとも言われるんですが、いつぱい断られてここしかなかったんですよ。それに、奈緒子にとって1人暮らしを支えていくために必要な最低条件を満たしてくれたのはここだけだったのです。庭続きの掃き出しがあったり、壁のない2間続きの部屋、フローリングが多いこと、段差か少ない、多少の改造が許されるなどの条件に合うアパートはそんなにありません。それに障害者には貸さないと断られたところもありますしね。立地条件としては、実家からいくぶん離れていても、夜中でも駆けつけることができる距離にある。また、少々いろんな人が出入りしても近所にご迷惑があまりかからないとか、買い物が便利とか、いろんなことを考えていくと、もうここしかなかったのです。

 それにこのアパートを借りるとき、私たち家族は地域で生きているということを実感しました。ここから500メートル離れた所がわが家なのですが、山の手には小学校、反対側に中学校、高校は南方にあります。この地域で奈緒子は大きくなりました。ここで普通校に通い、大きくなったためだと思うのですが、このアパートの持ち主も小、中学校が同じ保護者だったのです。ですから奈緒子のことを説明したときも「知ってるよ。学校に行きようたね」と言ってもらったし、アパートを紹介してくださった不動産屋さんも下の子の同級生の保護者で以前からの知り合いです。だから相談すれば快く力になってくださるとわかっていたのですが、結局最後に行ったんです。地元だから迷惑かけたらいけないと思って、反対に私のほうが萎縮していたのでしょうね。それにまず奈緒子が一人で捜すことが大切だと思ったのです。本人もそのつもりでいくつか部屋をあたったのですが、断られました。そのことがエネルギーになったようで、「絶対捜さなくっちゃ」という気持ちになったようです。ここまであの子ががんばっているのなら、私も応援しようと思ったのです。それで、いっしょに相談にいくと、「ああいいよ」と言って何も詮索せずに貸してくださいました。


 阿部さんの話からは、地域のなかで生活し続けることの重さが伝わってきました。阿部さんは、かって奈緒ちゃんが小学校に入学したとき、担任の先生に「将来自立して生活していこうとする意欲やカがつくような働きかけをしてやってください」とお願いされ、家でも徹底してそのようなアプローチを試みられました。奈緒ちゃんの現在はそのような歩みから導き出されたのでしょう。


●地域で学ぶ

 誰でも地域の学校で学び、くらしていくことはあたりまえのことなのですが、「障害」があるということで、そのあたりまえのくらしを維持するために相当なエネルギーがいるのが社会の現実です。

 定時制高校4年のころに、奈緒ちゃんは前述の機関誌に「私の学校生活」と題してその時々の思いを綴っています。その一部を紹介しましょう。

 「私は、小・中学校と晋通学級で学びましたが、簡単にそうなったわけではありません。小学校入学の前に三原市教育委員会へ両親と私が呼ばれて行って、「あなたは、養護学級のある小学絞へ行きなさい」としつこく言われました。そして、希望する小学校への入学許可がなかなか出してもらえませんでした。

 その時、私は『何でみんなと同じ小学校へ行けないのか?』と思いました。小学校へ入り、車イスに乗り始めて、他の人に手伝ってもらわないと自分では何もできないことに気づきました。その時は”さえん”と思ったり、自由に動き周る他の人が、すごく羨ましいと思いました。でも、周りの仲間の支えもあって、いやな時も、泣いたりしたことも、笑ったりして、いつぱい楽しいこともありました。......

 中学校になって、1〜2年のときも、夕方、友達に声をかけて車イスを押してもらおうと思っても、先生も生徒もおらんようになって何回も大きな声で言うても無視されたりしました。頼めた時も「いいよ」と言う生徒も、いやがる生徒も両方いました。でも、私が困っているのがわからない生徒がほとんどでした。私自身は好き嫌いに関係なく頼んでいったけれど、無視されました。ものすごく悲しかったです。みんなは私の言葉を無視しても困らないけど、困るのは私だけなんじゃと思います。そんな感じで私ひとりだけになり、泣いたことが何回もあります。......

 中学3年生になり、進路を決めるときに、私はどこの高校にするか迷いました。そして体のことを考えて家から近いところで、小・中学校と一緒にいた仲間がたくさん行く全日制高校を希望しました。私は1人でテストを受けられないので、県の教育委員会に代筆受験をみとめてもらうよう『受験に関わる特別措置願い』を提出したのです。でも、私の思いや要求を全然まともに聞いてもらえず、ものすごく腹が立ちました。今まで病名にこだわらない生活を送っていましたが、そのときはじめて私は自分の病名を人に告げざるを得ない状況におかれました。結局私はなんの配慮もないなかで他の仲間と同様に全日制を受験し、不合格になりました。このとき、障害者はあたりまえに受験することさえできず、自分の力を出しきれない悔しさを感じました。

 しばらく考えこんでいましたが、いろんな仲間をふやしたり、つきあったりしたいし、同級生と同じように高枚生になりたかったから、どうしても高校に行きたいという思いで地元の三原高校の定時制を受けました。

 定時制に入学して学校のない半日の時間をどうすごすのか不安でしたが、いまはいろいろな人と一緒にいて、いろんな話をするのが楽しいです。家から外へどんどん出るのが多いし、楽しいです。そして外へ出ながら『自分』のことをわかる人をふやしていこうと思っています。


 奈緒ちゃんにとって高校進学問題は、人生を大きく揺さぶる岐路であり,苦難であり、怒りであったのです。そこから自らの<いのち>をみつめ、生きることの尊さを培っていったのでしょう。人は悲しさやつらさを多く経験するたびにたくましく、やさしくなるという...。奈緒ちゃんをみているとそのことを改めて実感します。そんな歩みのなかで確実に友人や仲間が彼女のまわりには集まってくるのです。


●働くことと余暇活動

 以前、私は奈緒ちゃんから20歳の記念にテレホンカードをプレゼントされました。それには卵のカラ細工の自画像が印刷されています。今回はその作品を見せてもらうのも楽しみの1つだったのです。そして、部屋にはいくつかの作品が飾ってありました。

 奈緒ちゃんは小さいときから絵とピアノを習い、週に1回プールにも通っています。お母さんにとってはそれぞれに企みがあったのですが、奈緒ちゃんにとっては楽しみそのものであり、いまや生活のなかになくてはならない活動として位置づけられています。特に一人暮らしを始めてからはアパートの一室で週に1度絵画教室が開かれているとのこと。絵の先生が教室に使う場所がないと困っておられたので、提供されているのです。中学生になってからはずっと個人レッスンだった祭緒ちゃんですが、いまは午前中の成人クラスのメンバー。現在製作中の作品は市美展に出したいと意欲満々です。バラの花1つ描くのに何時問もかかり、かなりのストレスを感じることもあるらしいのですが、いまはまわりの人たちの活動に刺激されていい環境ができています。そして午後、幼稚園の子どもや小学生がくると、奈緒ちゃんは先生の助手を務めます。奈緒ちゃんは「言うことをきかんし、うるそうてかなわん」と言っていますが、けっこう楽しんでいるようすが伝わってきました。そして絵の先生からは家賃とアルバイト料が奈緒ちゃんに支払われます。ですから、奈緒ちゃんにとっていまや絵画は確固たる収入源でもあるのです。

 アパートの居間の壁面には奈緒ちゃんのスケジュールがぎっし書き込まれていたり、掲示板にはメモがいくつも貼ってありました。そうしておかないと奈緒ちゃんには見えないのです。長年の活動に最近追加されたのは電動イスサッカー。この春に「みはらじゃけん」というチームを結成して練習に励んでいるとのこと。ヤッサ祭りでは、「ビールを売って資金稼ぎをするのだ」と目を輝かせていました。

 奈緒ちゃんの活動をかいま見ていると、私のなかには何人かの同年代の若者の顔が浮かんできます。水泳や仕事で出会った子どもたちがおとなに成長しているのです。そのなかのひとり、福島穂高君も今年20歳になる青年です。同じ水泳クラブの仲間です。養護学校の高等部を卒業後、週末以外は入所施設にいます。楽しみは、ハロウィックで泳ぐことと電動車イスサッカー。退屈なウィークデーを返上するかのように週末は活発に活動しているのです。漂うように25mプールを背浮きで泳ぎきる姿はすばらしいものです。楽しみがやがて彼の自信となり、支えにもなっているようすが伝わってきます。おとなになっても楽しめる活動に子どもの頃からしっかり出会わせてあげたい、そんな活動や経験の場を社会や教育現場で保障することの大切さを痛感します。生活を切り開き、楽しみがふくらんでいくような活動へのアプローチが求められているのです。


<サマーキャンプに参加して>

 三原駅から車で1時間近くいった山中で奈緒ちゃんたちはサマーキャンプの真っ最中でした。このサマーキャンプは長い歴史をもっていて今年で20回目。奈緒ちゃんは14回目の参加だそうです。「障害」のある人もない人もいっしよに楽しむキャンプとして位置づけられ、三原市の「障害」者運動のなかで息づいてきた行事です。


●はじめまして、班長さん

 キャンプ場に着いたのは昼食が終わったころでした。奈緒ちゃんたちの班では、ちょうど反省会が始まるところでしたが、私の到着をずっと待っていてくれたとのこと。「取材されると思うと会う前からずっと緊張していた」と落ちつかない気持ちを伝えてくれました。この日、奈緒ちゃんには、もうひとつ落ちつかない事情があったのです。それは、今年はじめて斑長という任務が与えられたこと。私は少し離れたところで反省会を見学しました。奈緒ちゃんは、頬を少し紅潮させつつ、しっかりと進行させていました。反省会が終わると、終わりのセレモニー。今日で小学生たちは帰るのだそうです。各班からのアピールや全員参加の歌と踊りはフィナーレにふさわしいものでした。奈緒ちゃんも電動車イスを操作して楽しそうに参加。班長としての風格も感じられました。


<夏の午後よもやま話>−インタピユーより−

 久賀谷 はじめてキャンプに参加したのは、いつ?
 奈緒子 小学校の2年のときで、ひとりで参加するようになったの
     は中学校にはいってから。それまではお母さんといっしょ
     に参加していました。でも、お母さんとちがう班だった。
     その方がいいよ。いっしょだったらいややもん。お母さん
     がいないと、友達もいっぱいできるし、いいよ
 久賀谷 今年のキャンプはちょっとちがうでしょ
 奈緒子 去年まではのんびりしてたけど、今年は班長だし、たいへ
     んよ。はじめてだし、緊張してしまつて…。それで大先輩
     の木之下さんに頼って昨日はかわりに話をしてもらったり
     しました。それではいけないと思って今日の昼は自分で進
     行した。反省したんよ
 久賀谷 奈緒ちやんのキャンプ歴は古いんでしょ
 奈緒子 ひとりで合宿に行ったのは、小学校2年生のときです。今
     でも覚えている。はじめてお母さんと離れて、悲しくて寝
     られなかった。それからだんだん慣れていって、友達がで
     きるのが楽しみになりました。修学旅行も付き添いなしで、
     先生とみんなにやってもらったよ
 久賀谷 今年のキャンプで一番楽しかったことは?
 奈緒子 キャンプファイヤー。何もしていないけど、見ていて楽し
     かった



●ひとり暮らしは楽しい!

 7月の中旬から風邪をこじらせて熱が下がらなかった奈緒ちゃんは水泳の合宿には参加できませんでした。

 奈緒子 このキャンプだけはどうしても参加したかったので、熱が
     下がるようかんばって寝ていました
 久賀谷 新しい生活で疲れたのかな?
 奈緒子 ヤッサ祭りの打ち合わせなんかで、夜に福祉短大の友達が
     きて、遊んだりしていたしね。クーラーをつけすぎて、喉
     を痛めて声がでないようになったんです
 久賀谷 経験してはじめてわかることがたくさんあるでしょうね。
     ひとり暮らしは自分からしたいと言ったの?
 奈緒子 うん、高校を卒業してからずっと考えていました。お母さ
     んも「やってもいい」と言ってくれたし。自分で自分の時
     間を使いたかった
 久賀谷 やってみて、どうですか?
 奈緒子 楽しい! 友だちもきてくれるし、遊べるし、お酒も飲め
     るし…(笑)。風邪をひいてしんどくても、ひとり暮らし
     はいいよ
 久賀谷 1週間のスケジュールがぎっしりつまっていて忙しいね作
     業所での仕事もあって、高校生のころとはちがうでしょ
 奈緒子 仕事はきびしいと思った。お金儲けもしたいけど、そんな
     にもらえないしね。9時半から3時半までの仕事で送迎パ
     スで通っています。マタニティのゴム通しをしているの。
     プールには仕事が終わってから週に1度行ってる。あとは
     週に1度の絵画教室と動作訓練。水・木・金はヘルパーが
     家に来てくれます。夜の泊まりの介護は自分で電話をして
     調整してる。1カ月先くらいまで決めているけど、決まら
     ないときは家族に入ってもらっています。大変だけど、ひ
     とり暮らしはいいよ。友達もどんどん増えていくし



●夢をひろげて

 取材を終えようとした頃、奈緒ちゃんははずかしそうにことばをつなぎました。

 奈緒子 あのね,彼氏ができたんよ
 久賀谷 すてきだね。どこで知り合ったの?
 奈緒子 絵の先生の娘さんが友達を連れてきて紹介してもらったの。
     東京の大学に行っていて、6月の終わりに教育実習で帰っ
     てきて、デー卜したんよ。今、手紙の交換をしてるの
 久賀谷 今年は楽しみがいっぱいね
 奈緒子 今の楽しみはそれが一番。それと8月になったら1カ月問
     「語り部テレホンサービス」で私のテープが流れるんよ。
     『まちんと』の話なのでせひ聴いてほしいな。自分にでき
     ることはなんだろうと考えて、奈良たんぽぽ語り部学校で
     学ぶようになったんです。本科を卒業して、いま専科で勉
     強しています。これからもいろんなことにチャレンジした
     い。それからプールもがんばって練習したいな。2年後に
     あるロンドンでの競技会に出たいなと思ってるの。久賀谷
     さん、いっしよに行きたいね


 奈緒ちゃんの夢に私も乗せてもらいたくなりました。『私の学校生活』の文章の最後に奈緒ちゃんは「『できない』ことを変えようがないし、そういう自分にもっと自信をもって、たとえ嫌われても堂々と、できないことは、いっぱい周りの人に言っていきたいと思います」と書いています。できないことを堂々と言い切ることは、できることを精一杯していることの証です。奈緒ちゃんの財産は多くの友達。それは、自分の人生を引き受け、そこから人にアプローチしていくたくましさのなかに、ナイーブで人を傷つけまいとする彼女のやさしさが秘められているのを知っている人たちの集まりなのでしょう。

 京都に帰ってまもなく、奈緒ちゃんから暑中見舞いが届きました。私の独断でこの便りを読者宛のメッセージとしてお伝えすることにします。

  暑い日が続いていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
  私は、三原高校定時制を卒業して、社会人となって1年が過ぎま
 した。1年間迷いましたが、5月下旬より20歳になったのをキッカ
 ケに、家族と離れてひとりで生活することにしました。
  いろいろな人たちに食事の準備を手伝ってもらい、身のまわりの
 介護を受けながら、新しい生活を始めています。介護をたのんだり、
 毎日の生活を考えると、ひとり暮らしはまだまだうまくいっていま
 せんが、これから1つひとつ力をつけて生きていきたいと思ってい
 ます。みなさん協力してください。
  お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。お待ちしてい
 ます。
   1998年 盛夏               阿部奈緒子




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