子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」63号,1995:夏 連載第2回)



 枚方市立幼児療育園は,「児童福祉法第43条の3」による肢体不自由児施設です。上肢,下肢または体幹に障害がある児童と保護者が日々通園して,機能回復訓練,及び保育を行い,独立,自活に必要な知識,技術を身につけることを目的としています。定員は40名。6月現在は3クラス30名の子どもたちが通園しています。通園日数は個々の体力や年齢に応じて,週2〜5日と柔軟な対応がされています。療育時間は午前10時〜午後2時20分。就学まで在園した園児を対象として母子分離での通園も後半行われています。

 「一人ひとりを大切にし,豊かな心と丈夫なからだ作りを!」を目標に掲げ,さまざまな専門職が連携して療育にあたっています。また,ともに育ちあうことを基本にOTやSTによるグループセラピー等,独自の活動も深められています。
 枚方市立幼児療育園
 〒573 枚方市三矢町4-10(0720-43-6660)



はるかぜにのって・・・

 4月、日毎に暖かくなる春の風を感じながら,私はふと一人の友人のことばを思い出しました。「おもしろい仲間が揃っていて,手応えのある職場やで。一度遊びにおいで」。彼はいくつもの職場をかけもちで走りまわっているにもかかわらず,いつも口にするのは週に1度言語療法士として出かけている『枚方市立幼児療育園』の話でした。彼の言う魅力あるスタッフとは「一体どんな人たちだろう」と,私は話を聞くたびに思いを巡らせていたのです。その友人から紹介してもらったのは,週に3日OT(作業療法士)として療育園の子どもたちと接しておられる井上美代子さん。自分なりの作業療法論を子どもを通して確かめつつ,深めておられる人だということが彼のことばから伝わって来ました。OTという職域は私にとって未知に等しい世界です。子どもを巡ってさまざまな専門職の人たちと出会い,仲間として仕事をしてきましたが,OTの方とは研修を受けた程度のつながりしかありません。もっと深く出会いたいという思いがつのっていただけに,私は話を聞いて久々に胸が高鳴りました。


井上 美代子さんを訪ねて

 京阪電鉄枚方市駅から徒歩五分の所に建つ『枚方市立幼児療育園』は,駅近くの住宅地の一角にあり,その建物からも地域に根ざした施設というイメージを受けます。

 井上さんは,「私,おしゃべりやから,しゃべりだしたら止まりませんよ。言いたいことをおかまいなしに言ってしまうたちやから,きっとまとめる時に困りはりますよ」と,屈託のない笑顔と親しみやすい大阪弁で出迎えて下さいました。彼女の持ち前の雰囲気と人間性の中に,相手をリラックスさせるすてきな要素があるのを感じつつ,すでに私のことばからもふだんの京都弁が飛び出していました。


こんにちわ!OTです−インタビューより−

 週に1度のグループセラピーを通して独自の作業療法論を展開されている井上さんは,自身で作られた『こんにちわ! OTです』という冊子を保護者に配布されています。


              こんにちは!
             OTです。

   O.T.では,お子さんが生活の中にある様々な刺激をどんなふうにうけとめ,うけとめ
  た刺激をちがう場面にどう転換していくかをみていきます。
   そのために,刺激をうけとめられる基礎を作ることにもこだわります。

だっこの刺激やほほえみかえしの刺激

さわられること,さわることの刺激

あやしかけや揺さぶりの刺激

食べることや動くことの刺激

そしておとなの刺激,こども同士の刺激

  週1回のグループセラピーでは,いろいろな刺激をたくさん経験して,より豊かな生活に
 むすびついていくようお母さんとがんばります。
      (『こんにちは! O.T.です』より)


 冊子で述べている考えをベースにして,週に1度のグループセラピーを行っています。活動内容は保母さんたちと話し合って,毎年そのクラスの子どもの様子を見て組み立て直しているんです。

 グループに関して,基礎理論として持っていますのは,シェルボーンのムーブメント(注1)というのが非常におもしろくて,その方の理論とエアーズの感覚統合療法の基礎理論(注2)とをミックスさせて頂き,私なりのOTの考え方をその上にかぶせさせてもらった形で,活動を組んでいます。


 【注1】シェルボーン・ムーブメント
   個人が主体的かつ積極的に周囲の環境や人との関わりをもって発達していくた
  めの基礎を築くための療法である。唯一の道具として床とパートナーとなるべき
  他者との活動をとおして,(1) 自分自身の身体に対する認識,(2) 空間の認識,
  (3) 他者との人間関係を獲得していくことを目的に,Veronica Sherborne によって
  創案された。日本には1993年6月にはじめて紹介されている。

 【注2】感覚統合療法
   学習障害児をひとつの研究モデルとして,A. Jean Ayears によって開発された。
  感覚統合とは脳内の情報処理過程(神経系が感覚の利用を目的としてこれを組織
  し処理する,すなわち知覚する過程)であり,結果として引き起こされる反応
  (行動)が何にどのように影響され得るのかに着目している。中でも前庭覚,触
  覚,固有覚の諸神経系統は発達的に早期に成熟するものであるために重視されている。


─OTがグループとして療育活動されているケースは,日本では少ないのですか?

 グループセラピーは,けっこうあちこちでされているんです。ただしグループの編成のし方というのが,治療者側に立ったものなんです。たとえば,ダウン症の子どもばかりを集めてのアプローチとか,脳性まひの○○型という子どもたちばかりを集めたグループ等で,この方法は治療者側にとって非常にやりやすいですよね。そういうグループというのは,あちこちでされています。でも私はそういったやり方をしたくないんです。本来の社会集団という意味を考えたら,いろんな人がいますよね。療育園には,年齢も個性もさまざまな子どもたちが保護者とともに通って来ます。そこでクラスという集団に参加するわけです。いろんな人たちの集まりの中で葛藤もありますが,子どももお母さんたちも職員も仲間として育ちあっていくことを私たちは大切にしています。クラスという小さな社会集団を活用してのグループセラピーを通して,自分の子どもだけでなく,他の子どもの思いや姿と出会ってほしい。そのことを通してより深く自分の子どもと関わっていってほしいなというのが,始めたきっかけなんです。

 でもそこにたどりつくまで,けっこう大変だったんです。いろんな所に行っていたんですよ。



●OTになってからの歩み

 療育園で働くようになって7年目という井上さん。それまでの足跡を追ってみました。

 OTになって1年目は,長野県の肢体不自由児施設で働いていました。3歳〜18歳までの子どもの入所施設です。実習でお世話になった所で,そのまま働くようになったのです。1年目だったので,なにもかも新鮮で多くのことを教えてもらった施設なので良かったのですが・・・。その後,出産しまして1年間は我が子とずっと接していました。

 そして主人の仕事の都合で今度は広島県の呉市に転居し,国立病院に5年位勤めました。そこは,一般の救急病院で,いわゆる脳卒中の方とか,脊髄損傷の方とかが多く来られていたのですが,小児科には「障害」のある子どもたちも来ていました。その中で訓練が必要な子どもをみていました。呉市には,肢体不自由児の通園施設がないんです。在宅か,遠い所へ何時間もかけて行くか,知的「障害」児施設に訓練だけ受けにいくかという方法しかとれなくて,未だに改善されていません。それで,救急病院で訓練をしていたのです。ただ,病院なので,ここのように療育を保障するのではなく,大人の患者の訓練と同じ位置づけで子どもの訓練をするということしかできませんでした。だから,その子どもを取りまく問題を解決していく糸口にさえ何らなっていないことが多くて,悶々とすごしたした5年間でした。お母さんたちが集まってきてくれても,それぞれのしんどさをぶつけたり,共有する場がない。そんな中で自然発生的に『親の会』というものができ,たまたま私がみんなに関わっていたので,世話役をさせて頂くようになったんです。『親の会』を通して,訓練以外のお母さんたちの話もいっぱい聞けて,そこで学んだことが,現在の私を支えているように思います。

 当時私と一緒にそこで働いていた先輩のOTの方からはずいぶん影響を受けました。その方のOTの理論というのにすごく共感できるものがあって,それが現在の私のOTの理論の基礎になっているんです。


─基礎になっているというのは,どのような内容ですか?

 毎月保護者向けに発行している『療育通信』の中で,毎年私は4月にそのことを書いています。OTなんてご存知ない方が来られるわけですから,作業療法というと,その名称のイメージどおりに何かを作るとか,何か作業をするんだと絶対思われるんですよ。それは無理ないんです。名前そのものに問題があるんですから・・・。それを「そうじゃないんですよ」と言っていくのが,私たちの初めの仕事なんです。

 ┌─────────────────────────────┐
 │ さて,4月は恒例の「OTって,なーに?」というお話です。│
 │ OTは Occupational Therapy の略で,日本語で作業療法といい│
 │ます。作業というと何か物を作ったりして手の訓練をするのかな│
 │あーと思われるでしょう。でも,本当の『Occupational』は   │
 │◎何かに注意やエネルギーを傾ける             │
 │◎ある時間又は空間を埋める                │
 │ さらに                         │
 │◎人として存在するということを表しています。       │
 │お子さんが一生懸命エネルギーを傾けることって何でしょう。 │
 │(中略)                         │
 │ OTではお子さんがエネルギーを傾ける何かを見つけだせる力│
 │をお母さんとともにさぐっていきます。           │
 │ 遊びの刺激をフルに利用してグループセラピーや個別指導を行│
 │います。今年度は特にお子さんが              │
 │┌・自分の体をどんなふうに感じておられるか(重力も含めて)│
 │└・まわりの空間をどんなふうに取り入れておられるか    │
 │を考え方の基本として一年間おたよりやグループ活動の中でお伝│
 │えできればと思います。      (療育通信より一部抜粋)│
 └─────────────────────────────┘

 作業療法ということばだけが一人歩きしてしまうことが多いでしょ。大人の人の誤解をまず解くことから始まる・・・先輩と話し合う中で結局こういうことやろなと,ことばにして下さったので私は非常に助かったんです。こういう形でいうとすべての人が対象になってしまうんですよ。


 人生の中で自分の生き方や考え方に深く影響を与えた人との出会いというものは,自らの原点を見つめ返した時必ず浮かび上がってくるものです。井上さんの基礎理論の話を聞く中で私自身も忘れえぬ人たちとの出会いを思い浮べていました。17年程前のことです。ある研究集会で1人の中学校の体育教師の方と出会いました。彼は私が参加していた分科会の助言者だったのです。<体育>を「からだそだて」と読み,<からだ> だけを切り離して考えるのではなく,<こころ>と<からだ>をひとつに捉えていくことの大切さを話されました。当時は「子どものからだが蝕まれている」とよく言われていましたが,子どもに問題があるのではなく,そのようにしか捉えられない大人の側に問題があるのだと訴えられていたのを今でも鮮明に覚えています。それまでの私自身の<からだ観>を問い直す契機となった彼との交流を通して,その後,忘れえぬ人たちとの出会いが生まれました。そこから私の<保育観−人間観>を原点から問い直し,子どもとともに創り直す歩みが始まったのです。私にとっては「師」と呼ぶべき彼らには,研究活動の仲間として現在なお支えられています。

 井上さんの出会いや歩みの中に自らを重ねてみたくなったのは,きっと『型にはまった枠の中で指導者としての眼で子どもを見たくない,存在そのものをまるごと受けとめることから子どもとの出会いを始めたい』という共通項を彼女との語らいの中で見いだせたからでしょう。


療育園の仲間との出会いのなかで

上の子どもさんの就学を機に仕事を辞めて大阪へ戻られた井上さん。ところが,昔の仲間が放っておかず,仕事が舞い込んできたとのことです。週1度のOTの専門学校での非常勤講師から始まり,療育園に勤めることに到りました。

 主義云々に走らなくて子どもを中心にさまざまな職種がしっかりつながりあって,取り組んでいる施設というのは,大阪の中でも数少ないと思います。ここはその少ない所の一つだと思います。私自身もとてもスムーズに受け入れてもらってびっくりしました。いつも受け入れてもらえなくて当たり前という所から出発しているので,最初は私の方がとまどいました。「本当にいいの? 私がしてもいいの?」という感じでグループセラピーも始めたんです。


●本物の仲間づくりをめざして

 5年程前からOTのグループを始めたのですが,試行錯誤もいっぱいありました。クラス母体があって,その中で重症児を集めたグループのあそびがあってもいいと考えた年もあったんです。でも,その時にクラス母体というのは,やっぱりだてじゃないなというのを経験しました。どの子もクラス意識をしっかりもっているんですよね。たとえば,重症児グループになると静かなんです。もちろん静かな時間も必要だし,その子が不快になっている時は静かにしてあげるべきなんですが,ずっと静かというのは絶対不自然だと思うんです。子どもの方も不思議に思っているんですよ。こちらがグループを作る上で重症児への課題とか,少し歩ける子どもへの課題とかを勝手に押しつけた結果,子どもやお母さんにとっては何か違うというのをしっかりアピールしてくれはったんです。ふだんいっしょにすごしている仲間とちがう人たちの中にいることの違和感というか,場の空気に馴染めないということを子どもは訴えていたんですね。そのことを考えた時に担任の保母も含めてのクラスということの意識はすごいなと思いました。クラス集団の中で,しっかり仲間意識が育っているのを感じました。だからクラス母体を基本にグループセラピーを進めているんです。子どもにとって過酷な課題とか,満足できない課題とか,いろんな課題がグループの中にはありますが,それに対して「しんどいよ」とか,「もっとしたいねん」と子どもがアピールしてくれるんです。そのことを他のお母さんが認めてくれるということが,去年の3学期の後半に初めてできました。「あの子が泣いているのは,こういう理由からやな」とみんなで認められる・・・その瞬間,その子の存在感がぐーんと高まってくるんですよ。グループでありながら個というものを大事にする<本物のグループ>が初めてできたねってみんなで確認しました。

●療育仲間に支えられて

 私自身もグループを持つことによって個別指導に生かしていくことができるのです。子どもの状況をグループで教えてもらい,そこでもっと細かくみたいということ,たとえば何であのポイントがずれていたんかなっていうのを個別でみさせてもらっているというのが現状ですね。個別指導の場でその子どもが出してくれた力というのは,その場かぎりのものなんです。でも,ちがう場面へ行ったらもっといろんな姿や力を見せてくれているんですよ。それがグループをさせてもらうことによってよく見えるのです。最初はお母さんも子どももまず活動に慣れましょうというところから始めます。そして慣れていってもらう過程の中で,親子でけんかしてたりとか,お母さんの抱き方があまり上手でなかったりとか,子どもがうまく抱かれないとかを教えてもらい,それは何故かということを個別の中で,お母さんに対して話していくという形をとらしてもらっています。ですから私の方もグループをもたせてもらうことでとてもすすめやすいんです。

 そのことを保母さんたちが全面的に支えてくれるんです。ここは保母さんの理解がすごくあるんですよ。「こんなん,したいんやけど・・・」と言ったら,「やってみたら」「やってみてあかんかったら,またかえたらええやん」と言ってくれるんです。単に訓練しているだけじゃないというのを誰よりもわかっていて,訓練が主でなく,保育が大事だというのも保母さんたちが自覚されています。だからといって訓練をないがしろにするわけじゃなく,きちっと理解されているんです。すごいなって思います。

 新しく入園された親子のクラスでは,時期的に様子を見ながらグループへの導入をはかっています。まだクラス集団ができていないうちから,OTグループという形をとってしまうと,お母さんたちが身構えてしまうところがあるでしょ。新しいお母さんたちにあまり気持ちの面でそういうふうに持ってもらいたくないし,やはり保育の流れできちっとおさえながらというのが,療育の大前提ですのでね。そこに私たち専門職ができることで介入していく形をとるというのが,理想の療育だと思うんです。

 また,子どもにとってはあそんでいるということが大事なんです。だから私は訓練場面でもあそぶわけなんです。それを見て新しくきた保母さんなんかは「あそんでいるようにしか見えへん」とよく言ってくれるんです。それが私はうれしいんですが・・・。あそんでいることにどう表現してくれたか,どう反応してくれたかをOTとして見ていくのが仕事だと思っています。その同じ場面を保母さんが見たら,保母さんの見方があって,そこに食い違いやずれができた時に,話し込めばいいわけでね。それが本当の療育だと思います。

 本物のグループ作りは,本物の職員集団があってこそできるということを,私自身いくつかの保育現場で確かめてきました。帰り際に私はそのことをつぶさに実感したのです。7〜8人の職員の方たちが帰路につかれる風景を前にして歩いていた私に,井上さんが「この中にも5つの職種の人たちがいるんですよ。看護婦,保母,ST,PT,OT」と説明して下さいました。「へえ〜,誰が誰だかわからない!」というのが私の感想。職種を越えた仲間というのをさらに実感したのは,話し足りないとばかりにみんなで立ち寄った喫茶店での語らいでした。

井上「ここでさせてもらっているようなグループセラピーが,他でできるかっていったら,絶対出来ないんです。それだけは確かです」
久賀谷「できるってこともすごいけど,そういう場面を共有できるってことがすごいですね」
井上「そう思うと離れられない気がします。家から通うのが遠いのでいろいろ考えるんですけどね」
保母A「常勤で来てくれるっていっても,他の人やったら,週に3日来てくれる井上先生の方がいい。がまんするから来て」
保母B「人に恵まれているからきっとうまくいくんでしょうね。職種ごとにバンと分かれている他の施設を見学したりするけれど,けんかしつつも仲良くできているから仕事をしていても楽しいですね」・・・
−心があたたかくなるひとときでした。


療育現場を見学して

 翌々日,私は再び療育園を訪れました。そして朝から井上さんと行動をともにするなかで,彼女が語ってくれた一つ一つの事柄について実際に確かめることができたのです。

 グループセラピーでのお母さんや子どもたちは,カメラを持った私がうろうろしても,ごく自然体。2年目,3年目の親子にとっては全く気にならない風景だったのでしょう。井上さんに言わせれば「見学者がおられる方がはりきる子どももいるんですよ」とのこと。4月の活動内容には12のメニューがありました。それぞれのメニューには子どもが親しんでいる歌が使われています。歌にあわせての活動は,一人ひとりの課題によって動きが違っているのです。その子にとって今何が大切なのかということが,その活動を見ると伝わってきました。それぞれの違いがわかり,それを支えあい,楽しさやしんどさを共有する,<共に在る>場としての大切さが伝わってくるグループ活動でした。


私にとっての生活−家族−仕事

 子どもを育てながら仕事をするということを,みんなしておられてすごくえらいなと思うんですが,私の場合は子どもが小学校に入った時,近くに学童保育所がありませんでした。子どもが家に帰って誰もいない状態が私はいやだったんです。それは,私自身が家にいないと解決できない問題だったんですよね。すると仕事はできないということになって・・・。保育所時代というのは,昼間仕事をしていても,家に帰ったらいっしょにいて,そこでフォローは出来るという自信がありました。だから,しっかり仕事もさせてもらったし,子どもには自分の世界でがんばっておいでと言って押し出せたんですが・・・。子どもの入学は,ちょうど広島から大阪に転居した時だったでしょ。ことばの問題でもつらい思いをするだろうと思いました。後で考えると子どもは全然平気でしたけどね(笑)。子どもが初めての土地でどうすごすのかということがとても気掛かりでした。学校というのは,先生が見ておられない所でも子どもの社会があって,そこで子どもがどう闘ってくるかというのが,私にはわからないでしょ。だけど,学校から帰ってきた瞬間の表情とか,外から帰ってきた瞬間の表情で「いつもとちがうな」とか「今日は楽しかったんだな」とかがわかるじゃないですか。それをわかりたくて,家にいたんです。子どものしんどさに時間をおいて対処する自信が私になかったんだと思います。でも,仕事をやめてもすぐにまた仕事を頂いたりして,今思うとすごく恵まれていました。それも主人の休みの日に私の仕事を組むことができて,ラッキーだったと思います。どちらかがいればよかったんです。とにかく家に帰ってきて子どもがしんどかったことを一人で背負う状況だけは避けたいな,親もその思いを共有したいなと思っていたんです。

 その子どもさんも現在は中学3年生,中学1年生,小学4年生とのこと。両親の仕事(ともにOT)に興味津々だそうです。話を聞いていて,働き続けてきた私自身の子育てを鋭く問い直される思いでした。私の長女は幼い頃「大きくなったら赤ちゃんの先生になりたい」と言っていました。少女時代は「絶対,保母にだけはならない」と。そして現在は養護施設で働きたいと親元を離れ,学生生活を送っています。子どもが生まれて以来,私は心の片隅で時々思ってきたことがあります。−−子どもが大人になったら,どんな答えを出すだろう。子どもの生き方の中にどのような形で自分の生き方が問われたり,反映されたりするんだろう。子どもの眼からどのような評価がされるんだろう−−。それは,私自身が今なお自らの生きるなかで母の生き方を重ねたり,対比させたりし続けていることに通じているのでしょう。

 井上さんと語りあうなかで私は久々に<自分らしく>生きている人に出会った気がしました。しんどさを語る時も彼女はさわやかに前を見ているなと彼女自身の<らしく>の中に,はるかぜをふと感じる思いでした。


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