子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」65号,1996:冬 連載第4回)



 磁場の会音楽療法とは
 故加賀谷哲郎さん(1983年没。日本音楽療法協会創立者)は,音楽を人と人とを結びつける方法として,「加賀谷集団音楽療法」を案出されました。この方法は,おとしよりやこどもたちの笑顔を願っている人なら,音楽の専門家でなくても活用できるメソッドとして,幅広く実践されています。現在は,「加賀谷集団音楽療法」をベースに,仲間の実践も織り込み,「磁場の会音楽療法(JIBA METHOD)」として,引き継がれています。

    連絡先:〒992-05 石川県加賀市橋立町ふ23
      硲 伊の助美術館内 宮本啓子さん方
         電話:07617-5-1627



出会いのなかでのときめき

 現在の職場に異動して間もないころ,私は『磁場の会音楽療法』(JIBA METHOD)の研修を二日間に渡って受けました。数年前に友人から手ほどきを受け,存在は知っていたのですが,研修を受ける機会を逸していたのです。新しい職場ではこの療法を“音楽あそび”として取り組んでおり,私自身も改めてしっかり身につけたいと思ったからです。

 研修の場で,ひとりのアシスタントの方に目がとまりました。それが,杉原康子さんとの初めての出会いだったのです。同じ療法でも行う人によって醸しだすふんいきはちがうものです。人とのふれあいのなかに音楽を自然に使っておられた彼女の姿に,私はとてもあたたかいものを感じました。

 その後,何度か彼女自身の研修を受けるなかで,以前は,京都市児童福祉センターで療育に携わっておられた臨床心理士であったことを知りました。現在は,子どもから老人までの幅広いあらゆる施設や療育現場に出向き,音楽療法を通じて交わりを深めておられる日々です。私は,子どもたちとの出会いの前でいきいきと輝いている彼女を見るたびに,その<輝き>の源を探りたいという思いがつのりました。


杉原康子さんとの施設巡り

 杉原さんが毎月定期的に訪問されている所は,京都府下をはじめ,大阪,奈良に至る数カ所とのこと。秋の訪れとともに,私は杉原さんに同行していくつかの音楽療法の実際を経験する機会を得ました。

 最初に訪問したのは,京都原谷の自然に囲まれた『原谷こぶしの里』という老人福祉施設でした。ホールには,多くのお年寄りがすでに円陣になって杉原さんを待っておられます。いとおしい娘を見つめるようなやさしい眼差しをおくるおじいさん,茶目っ気たっぷりに杉原さんにいたずらをしかけるおばあさんなど,そこには人とのふれあいを求める熱い思いがあふれていました。音楽を使ってのからだほぐしやふれあい,民謡やなつかしいわらべうたのリズムにのっての軽やかな動きを見ていると,音楽のもつ不思議な魅力にひきこまれます。時代(とき)を越え,さまざまな思いがふつふつとわいてくるのでしょうか。あるお年寄りは曲の合間に杉原さんの手をとらえて放さず,目をしっかり合わせて語り続けておられました。そして,1時間余りの間,誰もその場から離れようとされないのです。「老いると人は子どもにかえる」と,よく言われますが,私はこの光景をまのあたりにして,決してそうではないなと思いました。子どもだったら,おもしろくなかったり,退屈したらじっとしていません(最近はがまんの子も増えてきましたが・・・)。でも,お年寄りは娘のような杉原さんをやさしく受け入れておられるのを感じました。

 次にでかけたのが,京都市障害者スポーツセンターで毎月第1日曜日に行われている『音楽あそびのつどい』。参加されていた親も子もみんな和気あいあいとしてあたたかいふんいきに包まれていました。きっと杉原さんは仲間のスタッフと2人でていねいに実践を重ねてこられたのでしょう。曲に合わせて親子で見つめあい,ふれあう,まわりの友だちを感じる−集団で音楽あそびを楽しむなかで,いつのまにか子どもたちや親たちのからだやこころはリラックスし,そこからやわらかな表情を読み取ることができました。


音色の魔術に魅せられて−インタビューより−

 「音楽療法に出会ったときから,これは自分のライフワークになるだろう」と予感されていた杉原さんにその出会いをたずねてみました。

 年に1回『磁場の会』が開催する夏季学校というのがあるんです。その年は,京都が開催地でした。準備段階に講師の先生を招いてのセミナーがあり,そこに参加したときに『JIBA METHOD』に初めて出会いました。

 ちょうど京都のダウン症児の親の会が発足した頃で,そのグループのお母さんたちもいっしょに参加されていたんです。子どもたちとともに楽しい体験をされたお母さんたちが,「このような活動をグループの例会でしてもらえないだろうか」という相談を,私の所に持ち込んで来られました。最初は,自分でもすぐにできると思ったんですよ。要するに手あそびをたくさん並べたようなものだから,すぐにできると思って引き受けたんです。ところが,いざはじめてみると,とんでもない,むずかしいものだったんですよ。でも,そういった形できっかけをつくってもらったんで,音楽療法に取り組むことができたのだと思います。

 当時,私は児童福祉センターのカンガルー教室(就学前の在宅,あるいは保育所,幼稚園に通っている「障害」児を対象とした母子通園相談事業の一部門)でセラピストとして子どもたちとかかわっていたので,そこでもこの音楽療法を取り入れたいと思いました。そこで,職場の仲間2人を研修に誘ったところ,快く承諾してくれていっしょに受けてくれたんです。2人とも音楽療法に共感してくれて,試行錯誤しながらも職場のなかの活動に取り入れるようになっていきました。当時の仲間が賛同してくれなかったら実現しなかっただろうし,現在に至るまで引き継がれなかったと思います。

 現在,『磁場の会』にもいろんな施設から仲間が集まってきますが,音楽療法を職場に持ち帰っても受け入れてもらえないことが多くて悩んでいる人たちがたくさんいます。そのことを聞くたびに,私は仲間にめぐまれていたな,と繰り返し思いおこし,感謝しています。

 また,セミナーの講師をしておられた,石川県で永年知的障害児の入所施設に勤めておられる宮本啓子先生との出会いも私にとっては大きなものでした。『加賀谷式集団音楽療法』を加賀谷先生から直接学ばれた方です。私は宮本先生からこの音楽療法を学びました。宮本先生のエネルギッシュな情熱から生み出される『JIBA METHOD』の場面のあたたかさに初めて触れ,ひかれたときの思いを,今なお鮮明に覚えています。そのような出会いが,現在の私を支えていると思います。



●こころをゆさぶる音楽の魅力

−−杉原さんにとっての音楽療法の魅力というのはどういったところにあるのですか?

 音楽って“おもわず”気持ちやからだが動いていまうっていうところがあるでしょ。たとえば,お年寄りなんかは,パッと目があうとニコッと笑顔がこぼれるんです。意識しないで,ふっと手が動きだすとか,“おもわず”なにかしてしまうという,その瞬間がたまらないんですよ。

 音楽があると,そしてそれをみんなでからだを動かして楽しみあうと,気持ちがふっと動くというのが,魅力的ですね。児童福祉センターにいるときは,子どもの発達を領域に分けて,その発達年齢をめやすとして置き換えて,その子どもを把握していくという仕事が基本にありました。それは必要なことなんですが,それだけでいいのかなっていうのがあるでしょ。


−−ありますね。頭のどこかにおいておかなければいけないけれど,子どもってそれだけでないことの方が多いですね。

 『JIBA METHOD』に出会ったときに,お母さんがすごく子どもをいとおしく思われるというのがよくわかるんですね。その子の前に立ってボールをころがしたり,いっしょにダンスをするとき,お母さんが子どもの様子を見ながらすごくいい顔をされて,その後の親子関係がよくなっていくのが感じられたんですよ。子どもひとりひとりの課題はちがうでしょうが,自分が立ち向かうべきものに立ち向かえるエネルギーを培う場になっているなという気がしたんです。そういう意味で,音楽から生まれた元気のもとをみんなで分けあうというような側面を音楽療法はもっていると思うんです。

 発達の段階を細かく評価しながらのかかわりより,私にとっては,音楽療法を使ってのかかわりの方があっているような感じなんですよ。ちょっとおおざっぱで,あまり理屈がなくて,そのときのふんいきで,その子がふっと手をだしてくれたり,にこっと笑ったり,足を動かしたりとか,そういうチャンスをつくって,お母さんもそれを見て何かほっとして,「今日一日楽しかったな」とか,「いい音楽を聞けてよかったな」とかいった思いを共有しあう時間が好きだったんです。今考えたら,音楽療法はそういった点で魅力的でした。


 人は生きていくなかで,さまざまな<モノ>や<コト><ヒト>に出会っていきます。その出会いにときめき,こころ動かされたとき,ことばでは言い尽くせない思いが豊かさとなってあふれてくるのではないでしょうか。杉原さんの『JIBA METHOD』との出会いに,私は自らの『ハロウィック水泳療法』との出会いを重ねて,終始うなずいていました。

 私がこの水泳療法に出会ったのは,7,8年前のことです。「障害」をもった子どものために考案された水泳療法ですが,いいかえれば,年齢やその人の個性を問わず,だれでも楽しむことができるということです。水のもつ特性を最大限利用して,一切の補助具を使わず,マンツーマンで人とふれあうなかで楽しむというのも大きな魅力でした。それ以来,私の休日のすごし方が変わっていったのです。水の中でさまざまな「障害」をもつ子どもたちや大人たちとふれあい,よろこびや発見を共に重ねていきました。そのなかで子どもたちは,私に教えてくれたのです。「その人の<いのち>を感じずして,生きる力を能力なんかではかれないよ」と。

 <いのち>と<いのち>が出会うなかで,ほとばしるようなエネルギーをわかちあう,そこに生きる力が内在しているように,私は思います。この連載のサブタイトルが好きだと言ってくださった杉原さんのことばを借りると,「いのちというのは,どこかでひとつにつながっているのではないでしょうか。人は,ひとりひとり,それぞれがばらばらに生きていますが,ある瞬間に出会うと,はじきだされるというか,湧き出てくるものがあるのだと思えるんです。それを,子どもと目があって笑顔を交わしたときとか,おじいちゃんに会ったときなんかにふわっと感じるんです」−−。人が人を求めてやまぬ歩みはきっとそこからはじまるのでしょう。


●『加賀谷式集団音楽療法』の神髄

−−加賀谷式音楽療法の基本となっているのはどんなことですか?

 子どもたちは,ことばで表現できなくても,喜びや楽しさをいっぱい感じていて,手を叩く,からだを揺らすというような自然なからだが動きで表現します。加賀谷先生は,誰もがもっているこの「身体表情表現」と音楽との関係を,とても大切にされています。からだを動かすことによって,自分の内に音楽を取り入れつつ,音楽から感じとった気持ちを自らからだで表現する。この営みを心地よい音楽と受容的な人間関係の場で,お互いに交わし合うとき,あの暖かな一体感が生まれるのではないでしょうか。実際,加賀谷先生が編み出された身体の動きと音楽は,単純なように見えて,やってみると音楽と身体の動きと気持ちが1つに溶け合って,集団の渦が巻きおこるような気がします。そして,そこには音楽のもつ動と靜,リズム,フレーズ,曲想が見事に生きているんです。その辺がすごいなあと思いますね。


●忘れられない人たちとの出会い

 音楽療法をやってみようと思ったのには2つのきっかけがあるんです。

 その1つは,Dちゃんということばがなくて自閉的な子との出会いです。私は児童福祉センターに勤める前,空の鳥幼児園という通園施設で働いていて,Dちゃんはそこに通っていたんです。自分から要求をださない子でした。ある日,ホールでピアノを弾いたときのことなんです。他の子はスキップしたりしていたのにその子は何もしなかったんです。何曲弾いても知らん顔していたのに「糸車」というちょっとエキゾチックな曲を弾きおわったとたん,Dちゃんはピアノのそばに来て,私の手を鍵盤の上においたんです。リクエストしたんだなと思いました。Dちゃんが私にリクエストしてくれたのは,それ1回きりだったんですが,その時のDちゃんの目が忘れられないんです。そういう力を音楽はもっているんだなと思います。

 もう1つは,お年寄りの介護教室で勉強させてもらったときのことです。実習にでかけた老人施設では,その日『お誕生会』が催されていました。みんな食堂に集まっておられたんですが,参加できないおばあちゃんがおられて,私はその食事介助をさせてもらっていました。「次は,何を食べはりますか?」と聞くと,「ワシはいま何を食べたか,わからんでな」と言われるんです。スプーンも持てず,お茶もしっかり飲めないようなおばあちゃんでした。ふと見ると,テーブルにそえておられたおばあちゃんの手の中指だけが動いていたのです。食堂から流れてくる「♪ぼくらはみんな生きている」という曲にあわせて指でしっかりリズムを打っておられたんです。それが,私にはすごい発見でした。食べているものもわからない人が,まして,自分が覚えている歌でもなさそうでしょ,「ぼくらはみんな生きている」なんて・・・。だけど,リズムに触発されて,おもわず,指が動いたんだと思います。そのことが,私にはすごく印象的でした。



あたらしい風となって

−−施設や児童福祉センターで仕事をされていたときと現在では,立場がずいぶんちがいますね。

 そうですね。ちがいますね。それは,役割にもあると思うんです。現在の私は外からの刺激になるでしょ。入所施設なんか,特にそうですね。私は,外からの風みたいなもので,ふだんとはちがう者がいい所だけかかわらせてもらうということになってしまいます。お年寄りの所では,スタッフの方たちはふだん介護という,お世話をするといったかかわりをされているでしょ。私の場合は,お世話ではなく,いっしょに楽しむということですから,そのようなかかわりのなかでは,お年寄りも気楽なんだと思います。スタッフの方は「いつもはこんなに笑わないのに,よく笑っていた」と言われるんですが,きっとそれは,そういうことがあるのだと思うんです。お世話ではない,そんなかかわりを大事にしています。


●楽しみのなかで音楽に出会うということ

 音楽療法の実習を受けた短大生で音楽が嫌いだという学生がいました。評価されるための音楽しか経験していないようなのです。保母の資格をとるためにとかね。実習の後,その子は「音楽がこれだけ楽しいものだということがよくわかりました」と感想に書いてくれました。短大の実習で思ったのは,どの人もすごく緊張した音楽体験をしてきたということです。自分から湧き出て,それが楽しくて音楽をするのではなくて,教えられて,先生にパスかどうかみてもらうためのものだから,すごく歪んだ音楽体験になっているんですね。楽しい思いのなかで音楽に出会わないと不幸ですね。音楽というのは,気持ちとか,それこそいのちのなかにひそんでいるものでしょ。それをどう扱うかというのは大切なことで,ひとつ間違うと,音楽と楽しく出会えないんですね。

 日本の音楽教育は明治以降,西洋の音楽にほとんど置き換えられてしまったけれど,ほんとうは民謡やわらべうたなど,もっと土着的な,私たちの血の中に流れているメロディーやリズムを大切にしたいですね。

 それは音楽療法にも言えることです。専門的なことだけを一所懸命勉強してもだめだと思うんです。もちろん枠組みとして学ぶことは大事なんですが。以前,イギリスの自閉症児の学校を見学したときのことです。小さなクラスで先生が歌を歌いだされたんですが,私から見れば,『サウンド・オブ・ミュージック』の世界なんですよ。ドラマティックで,音域が広くて,メロディーが上がったり下がったりして,きらめいているんです。映画を見ているようでね。自分にはそぐわないという感じで,ついていけませんでした。そういう所で勉強して来られた人たちが,日本のお年寄りと民謡を歌ってどこまでお互いに共感できるかなと思いました。その方の生きてこられた日々や,くらしのなかに根づいている音楽をていねいに探し,いっしょに歌ったり,リズムをとったりして体験するなかでまきおこってきる気持ち−うれしかったり,はずんだり,なつかしかったり,時には哀しかったり−を共にできる喜びは,心が通じあったというか,何ものにもかえがたいものです。その意味で,音楽専攻でなくても,ごく普通の人が馴染みの曲をいっしょに歌ったり,手をとっていっしょに踊ったりするような,音楽を使ったボランティアの活動も,すばらしい交流の場になっています。実感のなかで音楽を共有することを私は大事にしたいと思っているんです。


 専門職としての歩みのなかで,杉原さん自身がきっとこのことを問い続けて来られたのでしょう。力のこもったことばのなかに杉原さんの思いや葛藤がひそんでいるのが感じられました。それは私自身も保育者になって以来,自らに投げかけ続けてきたことでもあります。向き合うのではなく,寄り添うことからはじめたい,と子どもとの出会いのなかでいつも私は私に語りかけるのです。


あふれ出る笑顔を求めて

 「自らを音楽療法士だとは,思っていません」−杉原さんは,きっぱりと語られました。そこから彼女の生き方が見えてくるようです。

 療育場面や精神病院などで,音楽療法は今後いっそう治療的な使い方をされていくことだろうし,そういった分野での活用も重要だと思います。一方では,音楽の特性を生かしながら人と人との潤滑油になること−−ボランティア活動で音楽を活用するなかでつながりを深めるとか,生活のなかでのメリハリができるとか,くらしに定着した音楽の使い方というのがあります。たえず,両方いっしょに見続け,かかわり続けていきたいなと思っています。

 「現在,楽しいですか?」とたずねた私に,すぐさま「ええ,楽しいですね」と杉原さんの口から笑顔とともに応えがかえってきました。いままで多くの人にこの問いを投げかけてきましたが,こんなにすばやく「楽しい」という応えがかえってきたのははじめてです。音楽療法の場面で,子どもたちやお年寄りの笑顔と同時に杉原さんのあふれんばかりの笑顔がとても印象的だったのが,思い出されます。

 新しい風となって,いのちの種をまきつづけるなかで,人とふれあい,笑顔と出会う,それが,彼女をして「楽しい」と言わしめているのでしょう。

 語らいのなかで私のこころは一編の詩をつぶやいていました。

   地下水
               川崎 洋

  チーズと発音すれば 笑い顔をつくる事ができます
  でも ほほえみはつくれません ほほえみは気持の
  奥から自然に湧いてくる泉ですから その地下水の
  水脈を持っているかどうか なのですから

  めったに笑わない顔があります でも 澄んだきれ
  いな眼をしています いつも遠くをみつめていて
  なんだか怒っているような表情です しかし彼は怒
  っているのではありません 地下水の水脈に水を溜
  めている最中なのです

  水が満たされて 彼がほほえむのはいつの事? 誰
  に対して?
  たぶん そのために 明日があります


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