子どもと生きる

〜いのちをわかちあうくらしを訪ねて〜

(ミネルヴァ書房「発達」66号,1996:春 連載第5回)



 愛育養護学校は日本で最初に認可された私立養護学校で,幼稚部と小学校部が設置されています。

 人間形成に必要な基本的な体験を個々に応じて積み重ねることに重点が置かれ,私立の特色を生かして自由な気風を大事にされています。具体的には,個々の子どもの自主的な諸活動としての「自由活動」の時間が多くを占めています。並行しておこなわれる「課題活動」への参加は子どもが選択できるようになっています。学校生活の時間配分も子どもの活動に応じて流動的にされていて,一人ひとり子どもが生き生きとした生活をつくるための場になっています。母子愛育会に設置されている通園施設家庭指導グループ(0歳〜)とは,特に密接な連絡をとりながら,乳幼児期からの一貫教育がおこなわれています。

    所在地:東京都港区南麻布5丁目6番8号
        電話:03-3473-8319



期待と楽しみのなかでの出会い

 1月の終わり頃,私は愛育養護学校を訪れる機会を得ました。1年越しにあたためていた企画です。以前からこの学校の保育に関しては,津守 真先生の文章や『発達』の特集などを通して,深く共感していたのですが,ぜひ訪れたいと願うようになったのは,私も執筆に加わった『保育実習』(ミネルヴァ書房)が出版された2年前の春のことでした。その本の中で一番心に残ったのが,通園施設の保育について執筆されていた愛育養護学校の西原氏の文章だったのです。私は愛育の子どもたちに,そこで子どもたちとともに生きている職員集団に出会ってみたいという思いがつのりました。そしてその直後,自らの共感を実践せよと言わんばかりに,偶然にも私は保育所から現在の職場である「障害」をもつ子の保護者・子通園施設に異動したのです。私にとっては,まだ見ぬ愛育の保育が新たな分野に足を踏み入れる手引き書となったのでした。

 今回は,その西原氏に仲間の山田陽子さんを紹介していただきました。2年前の共感や学びを山田さんや子どもたちを通してきっと確かめることができるだろうと予感した旅立ちだったのです。


山田陽子さんとクラスの子どもたち

 笑顔で出迎えて下さった山田さんは,愛育養護学校に勤めだして7年目とのこと。それまでにさまざまな経験を積まれているだろうと想像できる豊かさが感じられる方でした。現在,幼稚部から3年間持ち上がっている2年生クラスの担任をされています。クラスの仲間は5名ですが,その日の出席は3名。欠席している子どもたちの話をされるなかで,山田さんはさわやかに断言されました。「学校に来るばかりが楽しい生活とは限らないでしょ。家族がとても仲良くて,学校に来なくてもきっと楽しくやっているだろうと思えるので心配していません」と。

 学校がすべてという社会理念がまだまだはびこる現実のなかで私にはみずみずしい響きとして伝わってきました。子どもや親との深い信頼関係が根づいているからこそ言えることばでもあるでしょう。そんな山田さんとクラスの子どもたちの1日を少しのぞいてみましょう。


♪朝,さわやかな出会いのために  登校時間は一応決まっていますが,規制されるのではなく,子どもの年齢や体調,生活などによって時として変わります。親子で最も気持ちよく登校できる時間がその子の登校時間。朝,決まった時間に一斉に「おはよう」と始まる風景はこの学校にはありません。この日,一番に登校したのはT君。カレンダーや数字などが大好きなT君のことを山田さんは「彼のこだわりは,彼のすばらしさ」と言われます。「T君はその時々に中心に据えている関心事があり,他の活動も並行しつつ,納得がいくまでやって次へ進めます。今はカレンダーです。学校に頂いたり,T君のために父兄や実習生やスタッフが持ってきてくれたりで,百本以上のカレンダーが集まりました。その場所で過ごすことが,T君の日課のひとつです。初めは量の多さにT君が呑み込まれて,身動きが取れなくなるのではないかと心配して小出しにしようと思ったのですが,それを彼に裏切りと取られそうで,全部出すことにしました。T君が少なくとも今年の暦は頭に入れているようです。祝日の曜日,出会った人の誕生日の曜日等を当てるゲームをやったりしますが,彼の右に出る人はまだ現れていません。時にまちがえることもあり,そこがまたすてきだと思うのですが,T君に確信を持った顔で応えられると,こちらはストレートに信じてしまいます。最近は偉人の生年月日に興味を持ち,亡くなった日やその原因,ひいては功績にまで興味を広げており,人物辞典を持ち歩いています。T君は自分のこれからの人生を模索しているのかも知れません。時折,『カーネギーは,ネギの食べすぎで死にました』とか,『森鴎外は死んだけれど森光子は生きています』というようなジョークもとばしています。カレンダーの絵や写真にも関心があり,好きな画家と好きな絵,好きな風景に出会うことに夢中です。そして気にいったものは持ち帰り,子ども部屋の壁に掛けて使っています。昨年は五十数本だったそうです。このようにT君はカレンダーという素材に積極的にこだわって,余すところなく活用しています」。

 毎週決まった曜日に来られる実習生さんとの交わりも楽しみのひとつで,その日も朝から2人で2階の1室を使いきって町づくりを始めました。このあそびは午後まで延々と続きます。


♪大好きなあそびを大好きなひとと

 2番目に登校したYさんは他クラスのU君のお母さんが大好きです。U君のお母さんは子どもといっしょに登校した後,ボランティアとして保育に携わっておられるのです。U君ママを捜すことから始まるYさんの朝の活動。山田さんは,Yさんの大好きな歌をいっしょに歌いながら,手をつないで学校中をさがしてまわられます。やっとU君ママを見つけたYさんは,とびきりの笑顔で抱きついていきました。

 ここでは,子どもが大人を選びます。好きな人と好きな場で好きなあそびを楽しむことから始まるくらし,そのような営みは一方で保育者同士のつながりの深さを物語っているように思います。山田さんはYさんについてこのように語って下さいました。「Yさんは親しい保育者といっしょにじっくり過ごすことと,ひとりで行動する中で複数の保育者と出会っていくことの両方をやっているようにみえます。彼女が自由に選択できる状況でありたいと思っています。これまでのYさんは,私の中にもあることなのですが,時に,自分の思いに自分でストップをかけて,それで苦しくなることがしばしば見受けられました。

 近頃は,思うままを相手に向けて自由に表現していこうとしています。私はそんな彼女に伸びやかさとたくましさを感じています。

 しばらくしてYさんは山田さんの所へ行き,ピアノを弾いてほしいことを伝えていました。そしてピアノにあわせてU君ママと歌を歌ったり,踊ったりしていたのです。


♪友だちと交わる

 YさんがT君のいる部屋へ行くと,T君は「こないで」と拒否しました。山田さんが「『脱線のうた』を歌うからいれてよ」と言うと,Yさんはさっそく『脱線のうた』を歌いだしました。「♪だっせん,だっせん,だっせん〜」(Jリーグのメロディーで)。それを聞いたT君はニヤッと笑って「いいよ」と言ってYさんを受け入れたのです。

 山田さんは,『脱線のうた』にまつわる話をしてくださいました。「Yさんは,T君が大好きでT君がいる所へ行きたいんです。だけど,『T君,あそぼうよ』と声をかけるかわりに髪をひっぱってみたり,レールをこわしてみたりしてアピールしてしまうんです。T君は夢中になってあそんでいるからじゃまをされるといやで,それが度重なると『こないで』と言ってしまうんです。ところが,先日はとても平和にすごすひとときをもちました。その時,T君の電車が脱線したんです。T君の要望でいつものように私が『脱線のうた』を適当に節をつけて歌うと,Yさんが『Yちゃんも歌ってみる』と言って歌いはじめました。すると,T君が踊りだして,Yさんも私もつられて踊りだしたんです。気持ちがほぐれたT君はとてもうれしそうにしてYさんの歌のメロディーにちなんで『サッカー場をつくろう』とYさんに声をかけていました。楽しさが共有できると,興味やあそびがちがっても思いが通ずるよろこびがありますね」。

 保育者との確かな相互関係を土台に,子どもは仲間としてつながりあおうとしているのです。


♪描くこと,つくること

 子どもがいつでも自由に使用できる造形教室が2階の一室にあります。U君は担任ではない山田さんが大好きです。階段で山田さんを見つけたU君は,手を引いて絵の具あそびへと誘います。2人ならんで画用紙いっぱいに絵筆を走らせた後,土粘土をいじりだしたU君。指先で土粘土が変化するたびに「こんなのできたよ」と目で語りかけ,見せていました。そんな姿を廊下から見ていたYさんも絵の具あそびに参加。この日,初めて絵筆を持ちました。「絵の具そのものにというよりも,U君のやっていることにひかれたのでしょう。子ども同士でお互いに刺激しあうというのは,すてきですね」と山田さん。


♪午後の楽しみ

 1日のなかでのT君の楽しみのひとつはパソコン。好きなソフトを使ってゲームを楽しみます。その時間帯をキャッチしている山田さんは,T君の楽しみを共有しようとさりげなく寄り添います。いっしょにハラハラしたり,ドキドキしたり,応援する人がふえるたびにT君の楽しさも倍増しているようでした。1つの活動に一定時間集中して,なおかつ幅広く奥深くあそびきるT君の姿からは,<こだわることのすばらしさ>が伝わってきました。


♪意思としての<散歩>

 その日の体調によってゆっくり登校してくるS君が,いま最も楽しんでいるのは,<散歩>。「S君は身体の右半身にマヒがあり,長い移動には車イスを使いますが,校内では,いざりと膝立ちと人や家具等の支えを得ての歩行とを自分で使い分けています。私は,目的を持って自分の意志で移動することが機能を訓練することにしっかりつながっていくことを,S君から体験として学びました。S君は月に1度位のペースで専門機関の訓練も受けています。S君は時に気持ちが優先して思いきり動いて,体力がついていかずに体調をくずすこともありますが,彼が自分の可能性を広げていくことに積極的な人であることがよく伝わってきます。散歩もその延長上にあると感じています」と山田さんが説明してくださいました。 その日はいつもより1時間ほど早い時間帯に車椅子に自力で乗って散歩にいく意思表示をしたS君。そこには,彼なりの理由がありました。S君はちょうど1週間前も同じ時間に散歩に出かけようとしたのですが,山田さんたちが打ち合わせをしている間に,行けないのではないかと心配したためか,門の所で発作をおこし,断念せざるをえなくなったのでした。「あの日は登校してすぐにお弁当を食べて,『さあ,でかけるぞ』というところで発作がおきて,そのまま夕方まで眠り,やりたいことを何ひとつやれずに帰っていきました。その時の満たされなかった思いを,今日はやりきろうとしているのだと思います。私も同じ気持ちです」と山田さんはS君の思いに寄り添っておられました。

 マクドナルドで好きなパンの感触を楽しんだS君は,散歩途中,四つ角に着くたびに考え込んで,コースを自己決定します。時間をかけて一所懸命迷い,決断として指さししているS君の姿はもちろんのことですが,その迷いも含めてすべてを待っている山田さんの姿勢に保育者という枠をこえて人としてつながりあっていきたい「どこまでもいっしょだよ」という思いがにじみでていました。


♪ほっと一息おやつタイム

 散歩の帰りに「Yさんにおみやげ」と言って,山田さんはポテトチップスを買われました。おやつタイムは先日からの約束だったとのこと。おみやげを前にしてテーブルに集まってきた子どもたち。決まった時間に与えられるものとしてあるおやつではなく,いっしょに食べたい思いのなかで時間を共有するほっとしたひとときです。

 愛育での1日は子どもの思いに寄り添って大人がともに織りなすくらしでした。昨日のくらしや思いが今日に生かされ,それが明日につながっていく・・・<現在(いま)>を生ききることがいのちの連続性として豊かさをつくりだしているということを実感できた1日でした。『生きることは,えらぶこと』と,ある人は言います。山田さんやクラスの子どもたちとともに1日をすごして,愛育の子どもたちや大人たちは活きているなと思いました。時間割のなかで活動させられるのではなく,時間の流れの中をそれぞれのリズムで歩き,活動を生み出していくということ,時間がゆるやかに流れていくのを感じるのはその所以でしょう。


自分の人生をえらぶということ−インタビューより−

 山田さんの出身は長崎の五島列島とのこと。愛育養護学校に勤めるようになるまでの歩みをたずねてみました。

 高校は佐世保で,短大は佐賀です。卒業後,出身校の付属幼稚園に7年勤めて,その後民間の新設園の主任として5年勤めました。幼稚園の仕事は楽しかったし,好きです。ただ,経験を重ねるなかでこの仕事の奥の深さを感じて,もう1度大学で学びたくなりました。それで現職教員の研究の場として開かれている大学院をみつけて,退職してそこに籍を置きました。専攻は幼児教育でした。障害児教育についても学び,養護教諭の免許状を取得しました。幼稚園での統合教育をやっていましたので,より専門的な知識を身につけて,それぞれの子どもに必要な援助ができるようになりたいと思ったからです。免許を取ることに私がこだわったのは,専門機関の方と子どもの話をしても理解できないだろうという感じで,話が深まらないもどかしさを味わった体験からでした。表面的に免許を持つことで,今度こそ同じ土俵で話ができる状況を作りたいと思ったのです。ただ,いま養護学校にいますが,子どものありのままを受け入れていくという姿勢にかわりありません。前もって知識を得ておくことも時には必要でしょうが,出会った子どもとのかかわりのなかで,必要に応じて書物や同僚や専門家から学んでいく方が,生きた知識になると思います。幼稚園にいた頃,どうして私は専門的知識がないということにこだわっていたのか,今となっては不思議です。実習はぜひ愛育でやりたいと思い,津守先生に手紙を書いて直接お願いして,実現しました。卒業後,愛育でアルバイトをすることになり,現在に至っています。


●津守先生との出会い

−愛育養学校で実習を受けたいと思われたのは,どうしてですか?

 津守先生に直接お目にかかりたい,先生と同じ現場で保育をしたい,現場での先生の子どもとのかかわりを見せていただくなかで保育について学びたいと思ったからです。私が津守先生に初めて出会ったのは,幼稚園に勤めて4年目に先生の講習会に参加した時です。今思うと,その頃の私は自分の保育を少し距離をおいて見る余裕が出始めた頃で,その眼をうまく生かせばよいものを,自分のアラさがしをしては傷ついて先に進めないという,自分で自分の芽を摘むようなことをやっている時期でした。私は先生に質問したわけでもなく,一方的にお話を聞くだけでしたのに,その時に実感した「津守先生は私のために今日ここに来てくださったんだわ」という思いが今でも心に残っています。私は先生に「今のままのあなたでいいんです」というメッセージをもらったように感じたのでした。津守先生の講演や本に接していると,そうした間接的な出会いでも相手に対して強く出会っていると感じることがあるんだなあと思います。実習の初日に津守先生に「あたなはどういう目的でここにきたのですか?」と尋ねられました。緊張でコチコチの私はとっさに「汚い表現ですが,ゲップがでるくらい子どもとかかわりたいと思って来ました」と応えてしまいました。後でもっと言いようがあったのにととても悔やみました。先生の質問はそれだけでした。私は津守先生に実習の頃からずっと「ぼくにはぼくの保育があり,あなたにはあなたの保育がある。そのことを大事にしましょうね」と言われ続けているように感じています。

 その人の生き方を揺さぶるほどの出会いというのは,一生のうちでそんなに多くあるものではありません。いつ,どんな人にどのような形で出会うかによって,その人の人生は大きく変わっていくものだと,対談を重ねるたびに思います。最近,私も自分の生き方を問いなおしてみたくなるくらい世の中に向かってさわやかにたたかい続けている人に出会いました。子どもの人格を尊重し,生きる権利をどこまでも応援し続けようとされているその姿勢に自らの生き方を重ねてみることによって,また少し子どもに近づけたような気がします。出会いのなかでより豊かに育ち,変革していけるというのは,きっと大人も子どもも同じでしょう。


統合保育をふりかえって

●子どもが気づかせてくれたこと

 「幼稚園に勤めて1年目,年長児を担任しました。いく人もの父兄がこの1年を小学校の準備期間として捉えていたらしく,新任に任せるのは不安だと率直に言われたりしました。私は父兄の信頼を得なければクラス運営はスムーズに運ばないと思って先輩のクラスに見劣りしないようなクラス作りをしようと一所懸命でした。ただ,幸いなことにその時の子どもたちはわんぱくが多くて,自分たちのやりたいことは私が渋い顔をしていても平気でやってのける人たちでした。私は子どもたちの軌道修正を受けながら,1年を終えました。2年目もまた年長組でした。私は懲りもせず,クラスをまとめていくことをより大事に考えていました。そういう時に,いわゆる場面緘黙児のT君に出会ったのです。T君は年中組の間,職員室で過ごすことの多かった人で,彼を受け持つことで,私は自分のクラスをまとめることができなくなるのではないかと心配しました。そこで,なんとか早く,T君にクラスに溶け込んでもらおうと,努めて傍らにいようとしたり,声をかけたり,スキンシップをしました。T君自身に私が純粋に気持ちを向けることをしないでおいて,表面的にいくら受容的な行動をとったところで,彼に伝わっていかないのは当然のことなのに,その頃の私は少しもそのことに気づいていませんでした。行き詰まった私は,恩師に援助を求め,お母さんとも協力しあうなかでT君との関係をじっくり育んでいこうとしました。T君はそんな私の思いに,少しずつこころを開いていきました。そうやって1年を終えた時,集団と子どもひとりひとりの関係は,集団がまずあって,そのなかのひとりひとりというのではなくて,一人ひとりが集まって集団ができているんだということに深く気づかされました。

 山田さんの話を聞いていて,私は10数年前に出会った1人の女の子とそのクラスの子どもたちの顔を思い浮かべていました。Kちゃんもまた場面緘黙の子どもだったのです。その頃の私は発達保障という名の下にさまざまな活動を強いていたように思います。そんな私を変えてくれたのが,Kちゃんであり,クラスの子どもたちだったのです。みんなの前で緊張し,石のように固くなったいるKちゃんのからだに触れたとき,この子の喉を凍らせているのは,まさしく私ではないかという思いにかられました。目の前の子どもをまるごと受けとめることから始めようとしたとき,Kちゃんは初めて私に声をかけてくれました。話したい思いのなかで・・・子どもとともに生きようとする私の歩みはそこから新たに始まったのです。


●かかわりのなかで育ちあう

 その後も,統合保育にかかわっていきました。幼稚園での生活を振り返る時に,意識してそうしているわけではないのに,いわゆる「障害」をもった子どもと一見またないようにみえる子どもとのかかわりを思い出すことが多いです。それも後者の方が,より印象的に思い出されます。先程登場したT君が,発表会でやりたい役柄を自分で時間をかけて決めた時,同じ役柄の子どもたちがあっという間に彼の小道具を作って仲間に入れた様子。本番で寝転がる場面でただひとりだけ立っていたT君にそれを知らせる姿。終わって「先生,ぼくたちがんばったよ」って満足そうにしていた子どもたちの顔。それから運動会に向けての練習のなかで,いわゆる知恵遅れのM君とリレーで同じグループになっても,勝つことにこだわってM君を受け入れられないでいた俊足のO君が,当日アンカーを務め,他のチームより1周遅れても大きな声援を受けながら,ひとりで精一杯走った姿。M君も同じようにがんばったことを実感したのか,O君はそれからM君をより身近に感じるようになり,M君の描いた絵に感心して私に感想を言いに来たりするようになりました。そのM君が卒園式の際,証書をもらってから右に曲がるというのを,練習の時にはできたりできなかったりしていたものの,本番ではできました。すると,すぐに1番前に座っていたY君が振り返って私を見て「先生,M君やったね」と言わんばかりにほほえみかけてきました。その時のY君の眼差しを思い出すと,今でも心がじわっとあたたかくなります。幼稚園でも,愛育でも,子ども同士はうまくいく時ばかりではなくて,私は見守ることも含めて,どう間に入ればいいのか思いあぐねることもしばしばですが,そういう時も含めて,子ども同士のかかわりのなかに,大人とのかかわりの時とはまた違う,その子どもの個性が浮き出されてくるように思います。


●統合保育についていまおもっていること

 私は統合保育の「統合」がはずれて,あたりまえの保育として浸透していくといいなあと思っています。ただ,集団の大きさは一様でいいとは思いません。子どもは,集団の場で自分の思いや動きに相手を巻き込んだり,逆に巻き込まれたりするなかで,自分自身と向き合い,自分の可能性を開いていくわけですが,子どもによっては,またその子どもの時期によっては,小さな集団の場で,その子どものペースをより尊重して,大人ともじっくりかかわりを持つほうが,より自分らしく生活することができ,それらのことが実現されやすいだろうと思っています。集団の場を決める際に,あくまでも子どもの権利を保障できるようになりたいと思います。子どもの側からの統合を考えるのと同じ割合で,子どもを取り巻く施設の大人同士が自分たちの専門に閉じこもらず,子どもをとおして理解しあおうとし,つながりあっていこうとすることが,そのことを支える大きな力になると思っています。


だから統合保育でもっと強調ささていいと思うのは,いわゆる健常といわれている子どもたちが,どれだけその子たちの本物を引き出しているかということです。通園施設があるということは,子どもにとって選択肢が多いということで,いいことだと思うんですよね。ただ,その子が直接望まなくても,その子にとっていろんな子と交わることをいま願っている時期と思えるときに,保育所や幼稚園に入ってみようというときに,受け入れてもらえる体制をつくっていかなければならないと思います。幼稚園や保育所も,現在忙しすぎますよね。もっとゆとりのある体制をつくりたいですね。子どもが門戸をたたいたときにいつでも誰でも受け入れてもらえるということが望まれますね。」このことは,「障害」をもつ子と出会っていったことが現在のくらしにつながっているという山田さんと私との共通課題のように思えます。子どもとともに生きている私たち大人に課せられた社会へのアプローチなのでしょう。「統合保育をやりたいという気持ちはずっと持ち続けています。」と語られた山田さんのことばを通して,私は自らの統合保育への思いが心の奥に残っていたことを改めて気づかされました。


愛育での日々−子どもが大人と出会ってつながっていく時

 「私は愛育で仕事をする上で,この場で出会った子どもとのつながりを持ち,子どもが自分で自分の生活を創っていこうとする思いを支え,いっしょに生きることを地盤にしています。私がこのことを積極的に自分に引き受ける行為そのものが私自身が創っている自分の生活です」。

 そこに愛育養護学校の<こころ>がひそんでいるように感じられました。

−−愛育で7年過ごされるようになってから,変わられたことがありますか?

 保育はこれがベストだというやり方が厳然としてあるわけではなくて,純粋に子どもと向き合う中で,ともに創りだしていく営みなのだと思えるようになったら,肩の力がだいぶ抜けました。この仕事のむずかしさ,自分の保育者としての力のなさを痛感することもしばしばですが,結局は「今の自分にできることをやればいい」というところに気持ちが落ち着きます。それから理解ということについて,以前は保育者が理解する側で,子どもは理解される対象としてのみ捉えていましたが,その逆もあることに気づかされました。互いに自分の内面を意識的かつ無意識的に行為によって表現しあう,「かかわり」という共同作業の中で,理解は編み出され,両者の中で,相手に対する理解が豊かになっていくものだと感じています。

 日々の出会いの積み重ねのなかで生まれ,育ててこられた思いなのでしょう。山田さんのことばからは,子どもたちを愛してやまない熱い思いが終始伝わってきました。

 愛育養護学校には子どもも大人も自分の人生を自分らしく生きていこうとするくらしがあるなと,私は実感しました。『子どもの権利条約』を声を大にして叫ばなくても,ここには子どもが生きる場があるのです。ここでのくらしが外に向かってどのようにつながっていくのだろう。私は山田さんや子どもたちの<こころ>を大切に持ち帰ることにしました。


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